地球生活2022-06-15T08:05:12+09:00人間が生まれ、生きる理由。それは魂を成長させるため。JUGEMブログリニューアルのお知らせhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=932013-03-06T23:08:00+09:002013-03-06T14:34:47Z2013-03-06T14:08:00Z数年間、ブログ「地球生活」を細々と更新してまいりましたが、このたび思い切ってリニューアルすることにしました。リニューアルと言っても、このブログはこのままの状態で、別に新しいブログを開設しました。地球生活NEOhttp://neoearthlife.com当ブログ「地球生活」はこ...Homaブログこのたび思い切ってリニューアルすることにしました。
リニューアルと言っても、このブログはこのままの状態で、
別に新しいブログを開設しました。
地球生活NEO
http://neoearthlife.com
当ブログ「地球生活」はこのまま残しておきますので、
ストックされてる記事は今までどおり読むことはできますが、
今回の記事を最後に更新をストップする予定です。
今後の記事更新は、新ブログ「地球生活NEO」で継続していきます。
というわけで、これからもよろしくお願いします。
]]>ポジティブな意識と睡眠の関係http://earthlife.jugem.jp/?eid=922013-02-14T23:22:00+09:002013-02-14T14:25:26Z2013-02-14T14:22:00Z特にこれといった原因があるわけでもないのになぜかネガティブになりやすい日があって、自分がネガティブだということには気づいていながらも、なかなかその思考や感情が止まないことがあります。最近、日常生活で自分の意識、思考や感情を観察する中で、私はそんな状態を...Homaスピリチュアル・アセンション自分がネガティブだということには気づいていながらも、
なかなかその思考や感情が止まないことがあります。
最近、日常生活で自分の意識、思考や感情を観察する中で、
私はそんな状態を何度か経験したのですが、それには一見原因がないように見えて、
ほとんどの場合、実は毎回同じ原因があるということに何となく気づいていました。
その原因とは、疲れや睡眠不足です。
ここ最近の私の場合、ネガティブな思考や感情になりやすい日は
必ずと言っていいほど疲れがたまっているような、睡眠が足りていないような状態でした。
そんな時は睡眠時間をたっぷりとってみると、翌朝には前日の意識状態がウソのように
頭も心もスッキリしていることが多いです。
これは私に限ったことかもしれないと思っていましたが、
たまたま本日のYahooニュースにこんな記事が載っていました。
睡眠不足続くと情緒不安定=脳機能低下、うつ病など類似―精神神経センター
1日約8時間睡眠を5日間続けた後と、約4時間半を5日間続けた後で
モニターに男女の恐怖の表情や幸せな表情などの画像を見せて、
脳の血流の変化を比較するという実験。
その結果、睡眠不足の場合は恐怖の表情を見たときに、
情動と記憶を担う「扁桃(へんとう)体」と呼ばれる脳の部位が過剰に活動。
その状態は、うつ病などの患者と似ていたそうです。
現実は自分の意識が創り出しているということを考えると、
ポジティブな意識でいることは非常に重要なことになってくるわけですが、
そのためにはまずしっかりと寝ることが何よりも大事なことなのかもしれません。
ちなみに、良質な睡眠を得られる時間帯は22時〜2時と言われています。
]]>里山再生と炭焼きという持続可能な循環型産業http://earthlife.jugem.jp/?eid=902013-01-28T23:16:00+09:002013-02-03T10:44:54Z2013-01-28T14:16:00Z私は現在、炭焼きの仕事をしています。といっても自分でやっているわけではなく、会社組織で製炭からインターネットでの直販、商品開発などを手掛けている炭焼き師のもとで働かせてもらっています。炭焼きのことなど数か月前には私の頭の中にはひとかけらもありませんでし...Homa環境問題
といっても自分でやっているわけではなく、
会社組織で製炭からインターネットでの直販、商品開発などを手掛けている炭焼き師のもとで
働かせてもらっています。
炭焼きのことなど数か月前には私の頭の中にはひとかけらもありませんでしたが、
人にすすめられて突然興味を持ち、今の仕事を始めるまでほんの2週間くらいの出来事でした。
どの土地でやろうか、炭の種類は何がいいかといったことなど考える間もなく
とんとん拍子で事が運び、今に至ります。
もちろん自分の意志ですが、あまりにも急展開だったので、
導きに身をゆだねていたらここに流れついた、と言った方がしっくりくる感じです。
こんな感じで流れのままに突然炭焼きをすることになったとはいえ、
もちろん炭焼きという仕事に魅力を感じた点がいくつかあります。
ひとつは、炭が持つさまざまな効果。
高度経済成長期、化石燃料の登場によって
それまで燃料の主役だった炭は一般家庭から姿を消して行きましたが、
近年、自然志向が高まる中で、燃料以外の用途で炭が見直されています。
炭にはこんな効果があるようです。(ネット調べ)
・水、空気の浄化
・湿度調整
・防腐
・磁気調整
・マイナスイオン
・遠赤外線
お風呂に入れたり、ご飯を炊く時に入れたり、
実際に生活の中で炭を利用している人は少なくないのではないでしょうか。
また、炭を畑にまくと土が活性化されて農作物がおいしくなったり、
収量が増えたりするそうです。
このように、利用価値が高く万能な炭を生産することは、
何一つ間違った行為ではないという確信を私は持つことが出来ています。
炭焼きの魅力。もう一つは、「山」との関わりです。
私は、「海」と「山」どっちが好きと聞かれれば、
何の迷いもなく「山!」と即答するほど、私にとって、「山」や「森」、「木」には
言葉ではうまく言い表すことのできない特別な思いが以前からあります。
あえて言葉にすると、それは思考を超えた、心の奥深くで静かに、しかし強烈に感じる気持ちです。
いつのころからか、私の中には「山」と関わりのある暮らしが
理想のイメージとして定着していました。
炭焼きの仕事というと、いつも炭窯の前で作業している風景をイメージしがちですが、
実際には山での原木の調達が多くの時間を占めます。
「山」に入り、「木」に触れる日々の中で、
私はしばしばその「心の奥深くで感じる気持ち」に気づき、
私のフィールドが「山」で間違いないことを再認識しています。
ところで、人によっては、炭をつくるために必要な原木の伐採が
自然破壊になるのではと懸念されるかもしれません。
しかし、その心配は無用です。
それどころか、逆に原木の伐採は山林の活性化につながると言われています。
環境問題に少しでも関心のある方であれば、
「里山再生」という言葉をどこかで見聞きしたことがあるかと思います。
実はこの「里山再生」こそが、私が炭焼きという仕事に興味を持った大きな理由でもあります。
「里山」と聞くと、田畑が広がる土地に古民家があり、その家の裏には裏山があるような
のどかな風景をイメージされる方も多いでしょう。
しかし、実際のところ、「里山」という言葉が具体的に何を意味するのか
知っている人はどれくらいいるのでしょうか。
化石燃料が全盛となる一昔前は、山から薪や柴を取ってきて
炊事や風呂焚きなど日々の燃料にしたり、木を切り出して炭を焼いたり、
落ち葉を集めて肥料にしたり、山菜や木の実を採ったりというように、
生活に必要なさまざまな恵みを受けながら、人は自然と密接な関係を築いていました。
つまり「里山」とは、街など人が住むエリアと自然界のちょうど中間に位置する、
人間の影響を受けて環境が形成された田畑や山などの自然のことを言います。
里山の特徴は、「人間の影響を受けて環境が形成された」という点です。
別の言い方をすれば、里山は人の手が加わり続けることで維持されてきた、
人と共存する自然であり、人の暮らしと多様な自然の見事な調和です。
さらに、里山のもっとも注目すべき点は、
資源を枯渇させることのない「持続可能」で「循環型」の
人の暮らし、自然環境が成立しているところだと私は思うのです。
話を炭焼きに戻します。
私が手伝わせてもらっている炭焼きの原木は、
ドングリの木として知られるクヌギを利用していますが、
クヌギは伐採しても切り株からまた新しい芽(ひこばえ)が生えてきて再生します。
クヌギ以外にも薪炭材として利用されてきた日本の雑木林の樹種は
基本的に再生能力が高いそうです。
炭には7〜8年くらいたったクヌギの木が主に使われるので、
順次その年数のローテーションで再生と伐採を繰り返すことができます。
つまり、炭焼きという仕事は、一昔前の里山では当たり前に行われていたような、
人と自然が共存した持続可能な循環型の産業と言えるのだと思います。
そして、燃料革命や生活スタイルの変化にともなって放棄されて荒廃した現代の里山に、
経済に結び付いた形で定期的に人の手が入ることによってふたたび以前の生態系を取り戻し、
生物多様性の保全にもつながるのではないかと私は考えています。
]]>2012年12月21日の翌日に起きた私の覚醒体験http://earthlife.jugem.jp/?eid=892013-01-02T16:08:00+09:002014-09-25T00:20:51Z2013-01-02T07:08:00Z新年、あけましておめでとうございます。人類は滅びることなく、無事に2013年がはじまりました(笑かなり不定期な更新ですが、今年もこのブログをよろしくお願いします。さて、去る2012年12月21日の冬至。この日は古代マヤ暦最後の日ということで、ちまたでは人類の滅亡が...Homaスピリチュアル・アセンション
人類は滅びることなく、無事に2013年がはじまりました(笑
かなり不定期な更新ですが、今年もこのブログをよろしくお願いします。
さて、去る2012年12月21日の冬至。
この日は古代マヤ暦最後の日ということで、ちまたでは人類の滅亡が噂されたりもしていましたが、
スピリチュアルに関心のある人にとっては、かねてよりささやかれていた
次元上昇を意味する“アセンション”の日として注目していた人も少なくないと思います。
みなさんはどこでどんな一日を過ごされましたでしょうか?
私も頭の片隅にはありましたが、特に意識はしていませんでした。
その日私は朝から仕事に出かけ、夜は急きょ仕事先でいただき物の猪肉の焼肉をすることになり、
お酒も入って、日付が変わった夜遅くに床に着きました。
その日は結局、取り立てて何か特別な変化があったわけでもなく一日が終わりました。
しかし、その翌日、私はあるちょっとした体験をしたのです。
翌日22日土曜日はたまたま仕事が休みだったので、
暇がなくなかなか読めないでいた読みかけの本を読もうと思っていましたが、
朝の瞑想のあと、それとは違うこれまた読みかけになっていた瞑想の本を何となく手に取りました。
個人的なことですが、11月に新しい環境での生活が始まり、
めまぐるしく忙しい毎日だったこともあって、
それまで続けていた瞑想もやらない日が続き、心にもあまりゆとりがなくなっていたので、
無理にでも早起きして、なんとか朝だけでも瞑想を再開しました。
一週間くらいはなかなか感を取り戻せませんでしたが、
以前のようにはいかないまでも、次第に集中し、
心もそれなりに静まってくるようになってきたこともあって、
ふと、また瞑想の本を読みたくなったのかもしれません。
その本は、私を鎌倉一法庵の接心に誘ってくれたKくんが薦めてくれた
「呼吸による癒し」というヴィパッサナー瞑想に関する本で、
私の瞑想での経験や気づきと同様のことがとてもわかりやすく書かれていて、
私の瞑想のバイブル、というのが数ヶ月前に途中まで読んだときの印象でした。
22日のその日、途中からまたパラパラと読みはじめてみると、
実感をともなった理解で、いつの間にかその内容に以前にも増してどんどん引き込まれ、
読み進めていくうちに私はその本から、まったく予想もしていなかった
あるとてつもなく深い気づきを得ました。
そして、その気づきを引き金に突然、私の意識にある大きな変化が起きたのです。
その気づきとは、思考や心の状態を自分自身だと思いこみ、
私がこれまでの人生で作り上げ、必要に応じて作り変え、
そして一生懸命守り続けてきた自己という存在。
それはすべて幻想だったということ。
こうして文字にすると、精神世界関連のどこの本にも書いてありそうで、
その分野に関心のある人なら一度は目にし、耳にしたことがあることかもしれません。
私はこれまでの瞑想体験で、仏教で言うところの「空」と思われる何もない空っぽの意識を
現在に対する完全な気づきの中で何度か自覚したことがあります。
(参照記事:鎌倉一法庵での気づき−本当の瞑想とは)
たしかにその時は、思考や心の動きはまったくなく、心の中は空っぽで、
あるのはただ感受のみなので、自分自身だと思っていたものはどこにも見当たらず、
それが幻想だと思えたときがありました。
しかし、その時と今回の気づきが大きく違うのは、
「思考や心の状態が自分ではない」という点です。
細かい話になりますが、「空」を自覚している時に、
自分自身だと思っていたものが幻想だということには気づけていたものの、
「思考や心の状態が自分ではない」という気づきには至っていませんでした。
また、これまで幾度となく平静な心の状態で体の感覚や思考を観察してきましたが、
それらはすべて観察対象ではあるものの、「自分ではない」という認識はとても薄かったです。
つまり、これまでの私は、何を自己としているかを問題としていなかったようです。
感受や感情や思考は、空に現れては消える雲と同様、
それはコントロールできるものではなく自然に発生、消滅を繰り返す
無常の性質をもってただそこに起こっているだけの一つの現象に過ぎず、
それらを自己と同一化する必要はまったくない。
私は本を読みながら、思いがけず知恵の輪をはずせた時のような
かなりの衝撃とともにこの気づきを得ました。
そして、次の瞬間、ある意識の変化を体験したのです。
それは、自己からの解放です。
それまで自己と思っていたものは幻想で、単なる無常の連続にすぎないということは、
春に芽吹き、冬に枯れ落ちる木の葉のように、自然界に刻一刻と生成、消滅しているあらゆる現象、
そして、自分以外のすべての人間と何一つ差も隔たりもなく、
すべてが等価値ということに気がついた時、自己の枠は完全になくなり、
突然、目の前の現実との一体化が起こりました。
自己と思っていたものも含め、目の前に起こっているすべての現象と
意識が一体となっている感覚です。
実は私は以前にも同じような感覚を、「わの舞」で経験したことがありました。
(参照記事:「わの舞」を体験)
わの舞には何度か参加したことがありますが、
それを経験したのははじめて参加した時の1回だけです。
わの舞を踊っている時に意識が輪の全体と一体となり、
同時に自己という意識がどうでもよくなっていき、急速に薄くなっていく感覚でした。
何の前触れもなくあまりに突然の出来事だったので、その時は理屈はよくわかりませんでしたが、
かなりの解放感があったのはよく覚えています。
自己という枠がなくなる感覚は、何とも言えない強烈な解放感です。
自己という幻想がどれだけ意識を縛り、自分がどれだけそれを守ろうと躍起になっていたのか。
それがはっきりとわかります。
結局、すべての苦しみの原因は、幻想である自己に対しての執着なのです。
自己に対して執着があるのは、それが他の現象よりも価値のあるものだと思い込んでいるからで、
それが幻想ですべての現象と等価値ということに気がつけば、
何の努力もいらず自然と執着がなくなります。
そして同時に、自己を守るために全力で活動しているエゴもその役目を終えるようです。
私は今回そのすべてを一瞬にして体験し、完全な自己からの解放を自覚したと思っていますが、
現在このブログを書いている時点では、ふたたび自己の枠の中に舞い戻ってしまっています。
今回の意識変革は、わの舞の時と同様、一瞬あるいは数秒の出来事でした。
現在はそれを体験しているというより、記憶を頼りに頭で理解しているという感じです。
しかし、完全に元通りに戻ってしまったのかと言うとそういうわけでもなく、
今回の出来事をきっかけに、自己に対する執着は格段に少なくなったような気がするし、
日常での思考の観察が以前より容易になりました。
また、一日を通して今現在にいられる時間が増えました。
さて、このブログに書いたことは、実際に私が体験したこと、
それによって得た気づきを忠実に、出来るだけ自分の言葉で書くことを心がけましたが、
それらは、「呼吸による癒し」(ラリー・ローゼンバーグ著)に助けられている部分が大きいので、
同じような表現になってしまっているところもあるかもしれません。
最後に、この本から少し引用します。
ブッダはその教えを要約するように求められたとき、およそこのように答えました
いかなる状況においても何物をも私だとか私のものとして執着してはならない、と。
今回の体験が、アセンションの日と噂されていた2012年12月21日の翌日に起こったのは
単なる偶然なのか、あるいは何か関連があるのかわかるのはまだ先のことかもしれません。
]]>鎌倉一法庵での気づき−本当の瞑想とはhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=882012-10-13T17:49:00+09:002013-01-17T11:48:44Z2012-10-13T08:49:00Z山下良道さんが主催する鎌倉一法庵の5日間の接心に6月、7月、そしてつい先日の9月と3回参加させていただきました。一法庵の接心で良道さんのお話や参加者との質疑応答などを聞き、瞑想をするなかで、自分の瞑想が今どのような状態なのか、実際のところ瞑想とは何なの...Homaヨガ・瞑想6月、7月、そしてつい先日の9月と3回参加させていただきました。
一法庵の接心で良道さんのお話や参加者との質疑応答などを聞き、瞑想をするなかで、
自分の瞑想が今どのような状態なのか、実際のところ瞑想とは何なのか、といったことが
自分なりにある程度つかめてきた感じがしています。
それについて書く前に、まず私が一法庵の接心に参加することになった経緯から。
私が瞑想をはじめたのは2年半ほど前、
ゴエンカさんのヴィパッサナー瞑想コースにはじめて参加したのがきっかけです。
(参照記事:ヴィパッサナー瞑想体験 10日間コース@京都)
その後は期間が空きましたが、今年(2012年)の年越しのコースから5月までの間に
生徒で3回、サーブで3回と集中して10日間コースに参加してきました。
(参照記事:ヴィパッサナー瞑想 奉仕と生徒の1ヶ月@千葉)
(参照記事:ヴィパッサナー奉仕(サーブ)の魅力)
その甲斐あってそれなりに集中力もつき、
自分なりにそこそこ満足できる瞑想ができている時間も増えてきました。
ところが、5月に京都で参加した生徒として4回目のコースで私は、
ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想にちょっとした行き詰まりを感じてしまったのです。
そのコースでは個人的に、思考やイメージを徹底的に排除すること、微細な感覚の探求、
感覚を感じたらすぐに意識を動かすことに専念していました。
私の経験では体の感覚は、凝固感や圧迫感、痛み、かゆみなどの荒削りなわかりやすい感覚の場合、
思考やイメージが出てきていても気づいていることができますが、
微細な感覚になればなるほど本当に心が静かな状態で、より客観的に観察しないと
なかなか感じとることができません。
すでにそこにある微細な感覚を心を静めて感じとる様子は、
例えて言うなら、息を凝らして耳を澄ましてやっと聞きとることができる、
どこからか聞こえるとても小さな音を聞きとるような感じに似ています。
その時のコースで私は、思考にもイメージにも眠気にも邪魔されず、切り裂くような集中力で
1時間のほとんどの時間を静寂に包まれた完全に平静な状態でいることがしばしばありました。
しかしある時、しばらくの間微細な感覚の上をすべるように快適に意識を動かせていた場所が、
いつの間にか意識の移動がそれまでのようにスムーズにいかなくなっていて、
うまく行っていた時のことを思い出しながら
なんとか意識をスムーズに動かそうとしている自分に気がつきました。
そして同時に、雑念が現れることもなく完全に平静な状態だと思っていた心の中に
いつの間にか渇望と執着と嫌悪がすでに幅をきかせていることに気づいたのです。
意識をスムーズに動かせなくなっていたのは、
その場所に凝固した感覚が現れてきていたからだったのですが、
そのことにしばらく気が付かず、記憶に残るすべるような意識の移動に執着し、
それを渇望し、意識をスムーズに動かせないことを嫌悪し、ストレスを感じていました。
私はこのとき、あることを悟りました。
それは、常に完璧な平静さで感覚を繰り返し観察し続けるというのは
もしかしたら不可能に近いのではないか、ということです。
完全に平静であるためには、完全に感覚がアニッチャであることを理解し、
何度同じ場所を観察しても毎回その場所をはじめて観察するつもりで、
さらにその感覚に対して何の心の反応も起こさないことが必要です。
電子顕微鏡の最高倍率でのぞくくらい厳しく、そしてくまなく丁寧に心の状態を見るなら、
前回その場所を観察したときの記憶がある以上、同じ場所を再度観察したとき、
気づかないレベルでは渇望や執着や嫌悪のいずれか、
場合によってはすべての感情が生まれてしまっているような気がしたのです。
この“気づかないレベルで”というところが非常にやっかいです。
ゴエンカさんは、感覚を完璧な平静さで観察することで浄化が起こると言っている一方で、
渇望や執着や嫌悪の心で感覚を観察する場合、
浄化どころか逆にサンカーラを増やすとも言っています。
私の経験では、渇望や執着や嫌悪はかなり巧妙で、まるでパンに生えるカビのように
いつの間にか心の中に芽生えていることが多々あります。
それがどういうことかというと、つまり浄化していると思ってやっていた瞑想でも、
気がつかないうちにサンカーラを増やしている場合があるということになるのです。
さて、ちょっと長くなりましたが、聖なる沈黙が解けた10日目の夜に
上に書いたような話を瞑想ホールで席がとなりで、同室でもあったKくんと話していたとき、
山下良道さんと一法庵の接心を紹介してくれたのです。
ゴエンカ式では他の瞑想をすることを認められていないし、
私はゴエンカ式のヴィパッサナーにどっぷり漬かって慣れ親しんでいたので、
興味を持ちながらも違う瞑想法をすることに少なからず抵抗がありました。
しかし、ちょうど行き詰まりを感じたこのコースが終わる日に
隣席で同室だったKくんに紹介されるといういかにも仕組まれたようなお手配、
私が関東方面に戻ろうとぼんやりと思っていた時期と6月の一法庵の接心が
ちょうど同じくらいのタイミングだったこと。
他にも私の足を一法庵に向けさせるサインがいくつかあり、
結果的にごく自然な流れで鎌倉一法庵の6月の接心に導かれたというわけです。
良道さんが言葉を変えながらも一貫して言っているのが、thinking mind からの解放、
そして青空を体験すること。
青空は、慈悲の部屋、空なる部屋、第3の部屋などいろいろ別の言い方がありますが、
すべて同じ場所(同じ意識状態)のことを指しています。
thinking mind からの解放は、要するに過去や未来に意識が飛ばされることがなく、
「今」に気づいていて、思考やイメージと同一化していない、曇りなき心の状態のことです。
接心最初の2日くらいはゴエンカ式のヴィパッサナーが頭から離れず、
良道さんの話や瞑想法とどうしても比較してしまい、葛藤や混乱で心がスッキリしませんでしたが、
ゴエンカ式をひとまず忘れ、まったく別の瞑想法をやっていると考えることにしました。
気持ちを切り替えて瞑想に集中できるようになると間もなく、
私は、自分の心が thinking mind から解放されていることを自覚したのですが、
実はゴエンカさんのところですでにその状態は経験していたことを思い出しました。
ゴエンカさんの10日間コースの最初の3日間のアーナパーナのとき、
思考やイメージ、眠気を排除するという作業を意を決して徹底的にストイックにやったときに、
とてもクリアな、完全に静寂に包まれた、安らぎに満ちた心の状態を
短時間ではあったけど経験し、自覚したことがありました。
ただ、ヴィパッサナーでは、とても集中して体の感覚を観察しているとき、
特に微細な感覚を観察している時などは先にも書いたように長時間にわたって、
思考もイメージもわき上がってこない静がな心の状態でいることが出来てはいたのですが、
そこでやることは、心が平静かどうかのチェックと
体の感覚を頭からつま先まで順番にひたすら観察し続けるという2点に尽きるので、
thinking mind から解放された状態の心をあえて意識したことがありませんでした。
なので一法庵の接心ではじめてまじまじとそこにフォーカスした時、
最初は thinking mind が落ちた世界をはじめて体験したように錯覚しましたが、
思い返せばただそこにフォーカスしたことがなかっただけで
実は私にとっては以前から経験し、知っていた世界だったのです。
ゴエンカ式ヴィパッサナーをやっている人の中には
すでに thinking mind から解放された状態で体の感覚を観察している人はたくさんいると思います。
しかし、ただそれを「平静さ」としてしか認識せず、
その状態にありながらも、ただひたすらに体の感覚の観察のみに徹するというのは、
非常にもったいないような気がしてしまいます。
平静な状態、つまり thinking mind から解放された心の状態、あるいは近い状態にあるとき、
これは私の個人的な好みの問題かもしれませんが、耳から聞こえてくる音、
とくに虫の鳴き声や鳥の声、風や雨の音など自然界の音に意識をフォーカスすると
集中した状態を維持しやすくなり、「今」にあり続けることが比較的容易になるように感じます。
また、thinking mind から解放された心の状態が
仏教で言うところの「空」だと良道さんは仰っていますが、
私の場合、特に意識を可能なかぎり五感すべてにフォーカスして「今」にあり続ける瞑想をしていると
たしかに「空」という言葉がぴったりくることが実感できます。
思考やイメージが止まっている意識は、何もなく空っぽです。
その何もなくどこまでも広がるとても静かな空っぽの意識の中に、
ただ五感によって立ち現われてくる感受のみがあるのです。
ただ虫の鳴き声があり、ただ鳥のさえずりがあり、ただ呼吸があり、ただ体の感覚がある。
目を開ければただ目の前に色と形、光と影がある。それらはただ起こっているのです。
自分だと思っていたものは幻想で実は何もなく、
自分とは感受そのものなんだということが実感できた瞬間がありました。
これらのことは、ゴエンカ式ヴィパッサナーに忠実に、
ただひたすらに体の感覚のみに意識をフォーカスしていたときは気がつかなかったことです。
こう書くと、人によってはゴエンカ式を批判しているように感じる人もいるかもしれませんが、
もちろん私はそんなつもりはなく、あくまでも中立的な立場で、
自分が経験し感じたことを忠実に書いているだけです。
さて、私の経験では、thinking mind から解放された世界にも
微妙に心の状態に差があるような気がしているのですが、それを書き出してみます。
1.思考やイメージは現れていないけど監視が必要で、思考したがっている意識を強引に押さえつけているようなどこか不安定な状態。(厳密にはこれは thinking mind から解放されているとは言えないと思う)
2.意識がとてもクリアで明晰。思考やイメージが現れてくる気配がなく監視する必要がないとても安定した状態。
3.意識がとてもクリアで明晰。思考やイメージが現れてくる気配がなく監視する必要がないとても安定した状態で、さらに喜びと安らぎと充実感に満たされている。
はじめての一法庵の接心で、thinking mind から解放された状態であることを自覚したとき、
私は2や3の状態だったのですが、ここで一つ問題だったのは、
良道さんが「慈悲の部屋」と表現をされる場所にいるはずなのに
その肝心の慈悲を感じることができないでいたのです。
その時の良道さんの説明では、thinking mind が落ちた世界=慈悲の部屋、
つまり、thinking mind が落ちれば慈悲は自然と出てくるということでした。
しかし私の場合、thinking mind が落ちていることは完全に自覚しているのに、
ただ慈悲だけがないという状態だったので、自分のいる場所がどこなのか混乱しました。
なぜ慈悲を感じられないのか、thinking mind から解放されたクリアな意識の状態で
心の中を丁寧に観察してみたところ、正体不明のどこかスッキリとしない
ネガティブな感情が残っていることに気づきました。
そのネガティブな感情が本来出てくるはずの慈悲にふたをしてしまっているような気がして、
その感情が何によって引き起こされているのか丁寧に探索してみたところ、
いわゆるペインボディ、自分で自分を攻撃している部分、自分の受け入れられない部分、
自分を愛せていない部分だったことがわかりました。
私はその意識できたペインボディを認めて、無条件で受け入れ、
その部分を慰めるというか、そこに愛を、慈悲を与えてみようと試みると、
まるで油田を掘り当てたかのように、胸の奥のどこかから愛が、慈悲がとめどなく湧き出てきたのです。
そして、自分がその慈悲によって癒され、ネガティブな感情がなくなると、
他人への慈悲もごく自然とあふれ出てきました。
この経験からわかったことは、慈悲とネガティブな感情は共存できないということです。
心にネガティブな感情が少しでもあるときは慈悲は出てこないし、
逆に、心が慈悲で満たされているときはたとえネガティブな感情を故意に起こそうとしてもできません。
思考やイメージから解放されて「今」に気づいているのに、慈悲がピンとこないときは、
心にネガティブな感情がないか丁寧に観察してみることも一つの解決策のようです。
いろいろと書きましたが、最後にもう一つ。
thinking mind から解放されたクリアな意識の状態、
いわゆる「空」や「慈悲の部屋」に入ってからが本当の瞑想だと良道さんはおっしゃっていますが、
私もこれまで書いたような経験を通してそれを実感しています。
逆を言うと、目を閉じて黙って静かに座っていても、
思考やイメージ、眠気に支配されているならばそれは瞑想とは言えないのだと思います。
瞑想中は今にあるので、本当の意味で瞑想ができている時間が増えれば、今にある時間が増えます。
今にあるときはエゴの影響の外にいるので、エゴにエサを与えることはなく、
瞑想をして今にある時間が増えることで、自然とエゴの力が弱くなっていくのです。
これが瞑想の一つの効果だと私は思っています。]]>吐竜の滝@山梨(清里)のパワースポットhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=862012-09-13T13:30:00+09:002012-09-13T04:30:37Z2012-09-13T04:30:00Zキープ自然学校の仕事が休みの日に、近くにある吐竜の滝に何度か足を運びました。吐竜の滝自然学校から森を抜けて歩いて行けることを知る前は車で行っていたのですが、吐竜の滝周辺がパワースポットだということは車で行かないと気が付かなかったと思います。というのも、...Homa神社仏閣・パワースポット・世界遺産
吐竜の滝
自然学校から森を抜けて歩いて行けることを知る前は車で行っていたのですが、
吐竜の滝周辺がパワースポットだということは車で行かないと気が付かなかったと思います。
というのも、私がエネルギーを感じたのは滝そのものではなく、
意外にも駐車場から滝へ続く道なのです。
はじめて吐竜の滝を訪れたとき、駐車場に車を止めて案内にしたがって
滝へ続く道がある森に入って行きました。
森に足を踏み入れてすぐに、パワースポット特有のエネルギーの感覚を感じました。
道を行ったり来たりしてエネルギーの発信源を探ってみましたが
いまいちはっきりしたことはわかりませんでした。
ただ、なぜかこの森の道の途中には大きな岩が点在していて、
もしかするとそのいくつかの岩が発するエネルギーのような気がしないでもありません。
大きな岩
この森の道を抜けて川沿いに出ると不思議とエネルギーの感覚がなくなるのです。
また別の日に来た時も同じように感じたので、気のせいではないと思います。
滝の前やその先に続く渓谷を歩いていても同じような感覚になる場所はなく、
特別見どころがあるわけでもないこの森の道だけが何か特殊なエネルギーに満ちているようです。
もちろん、吐竜の滝や自然学校から滝に抜ける森の中の道や川俣渓谷はとても気持ちよく、
清々しい気持ちにさせてくれて、ハイキングコースとしても、
どこか川沿いに腰をおろして読書したりのんびりするのもおすすめです。
]]>キープ自然学校の夏バイト@清里(山梨)http://earthlife.jugem.jp/?eid=852012-09-03T17:40:00+09:002016-01-30T13:49:28Z2012-09-03T08:40:00Z今年の夏は、山梨県は清里にあるキープ自然学校というところで働いています。キープ自然学校は主に小中学校・高校の林間学校や、大学のゼミやクラブ等の合宿などで利用される宿泊施設で、名前のとおりいろいろな体験プログラムも開催されています。キープ自然学校http://w...Homa住み込みバイト
キープ自然学校は主に小中学校・高校の林間学校や、
大学のゼミやクラブ等の合宿などで利用される宿泊施設で、
名前のとおりいろいろな体験プログラムも開催されています。
キープ自然学校
http://www.keep.or.jp/ja/shizen_school/
ここでの私の仕事は、自然学校という名前とはあまり関係のない、
布団の整頓やベッドメイキング、風呂・トイレ掃除などの館内清掃、厨房の洗い場などが主ですが、
キャンプファイヤーのセッティングやそれに使う薪割りなどもときどきあり、
それは自然学校らしい作業かもしれません。
薪割り
キャンプファイヤー
私は掃除は嫌いじゃないし、ありがたいことに作業もせかせか忙しくやる必要もなく、
おまけに仕事仲間にも恵まれているので、本当に毎日気持ちよく楽しみながら働いています。
自然学校から見る八ヶ岳
キープ自然学校の周辺には、清泉寮、パン工房、農場、ショップ、レストラン、教会など、
清里開拓の父といわれるポール・ラッシュさんが創設した
財団法人キープ協会が運営する様々な施設が広大な敷地に点在しています。
また、キープ協会の広大な敷地には森の中の自然歩道が充実していて、渓谷や滝などもあるので、
仕事が休みの日は周辺を自然散策するだけでも充分に楽しめてしまいます。
川俣渓谷
吐龍の滝
さらに、私が今寝泊まりしている寮は森の中にあり、鳥のさえずり、虫の鳴き声が聞こえてきて
部屋の中にいても自然を感じることができます。
ときには、部屋の窓の外を鹿が往来する姿を見ることもあります。
寮の部屋の窓から
まあ、いろいろ書きましたが、自然学校で働き、休日は自然散策。そして寮が森の中。
木や森など自然が好きな私には好条件の環境です。
2年前から夏は北海道の利尻昆布のバイトに行ってましたが、
なんとなく今年は違うような気がして夏は何も予定を組んでいませんでした。
6月下旬に西日本の旅から帰ってくる数日前に、
旅も終わるし、さて今年の夏はどうしようと考えていたところ、絶好のタイミングで
千葉のヴィパッサナセンターで知り合ったJくんからメールをもらい、
キープ自然学校の夏バイトを紹介してもらいました。
突然来た波にただ乗ってみた感じでしたが、その波は思いのほか良い波だったようで
お陰さまでまた今年も思い出深い、素敵な夏を過ごすことができました。
Jくん、ありがとう!
そして、まだ終わっていないけど、この夏のバイトで出会ったすべてのみなさん。
私が毎日楽しく過ごせたのはみんさんのおかげです。本当にありがとう!
残りの日々もよろしくね。
7月からはじまったこのバイト。時間がたつのは早く残すところあと半月。
一日一日を大切に、残りのキープライフをエンジョイしたいと思います。
]]>東経135度線のパワースポット・神社巡りhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=832012-07-11T15:40:00+09:002012-07-11T06:41:09Z2012-07-11T06:40:00Z>>厳選パワースポット・神社巡り東経135度線のパワースポット・神社巡りをしてきました。今回の西日本の旅を計画中に「ガイアの法則」のことを知り、東経135度線の魅力に取りつかれてしまったのがそもそものきっかけです。(参照記事:軽バンの旅 2012 春)(参照記事:...Homa神社仏閣・パワースポット・世界遺産>>厳選パワースポット・神社巡り
東経135度線のパワースポット・神社巡りをしてきました。
今回の西日本の旅を計画中に「ガイアの法則」のことを知り、
東経135度線の魅力に取りつかれてしまったのがそもそものきっかけです。
(参照記事:軽バンの旅 2012 春)
(参照記事:「ガイアの法則」「タオ・コード」 千賀一生 著)
場所の選定は、「日月神示」の中矢伸一さんと「ガイアの法則」の千賀一生さんのコラボDVD、
「東経135度線の聖地・神社を巡る旅」の収録地を参考にしました。
=DVD収録地=
大本天恩郷
★出雲大神宮
★天橋立
★元伊勢内宮皇大神社
★日室ヶ嶽
★元伊勢籠神社
★真奈井神社
沓島/冠島
★比沼麻奈為神社
★伊弉諾神宮
★を付けたところが今回私が訪れた場所で、さらに近くだったので以下の2社も参拝しました。
★元伊勢外宮豊受大神社
★天岩戸神社
大本天恩郷と沓島/冠島はパスしました。
大本天恩郷は、2年ほど前に縁あって大本教の大道場修行に参加したときに
一度訪れたことがありますが、その時一緒にいた友人は
禁足地の前で強いエネルギーを感じたと話していました。
★出雲大神宮
まずはじめは亀岡にある丹波国一宮、出雲大神宮です。
参道
拝殿
出雲大神宮はパワースポットとしてよく評判を耳にしていました。
私はこの旅で早朝と夕方の2回訪れる機会がありましたが、
実際に行ってみた感じとしては、本殿裏の磐座周辺でなんとなく感じるような気がした程度で、
特に目立ってエネルギーを感じることはありませんでした。
前評判に期待して行ったものの、結局何も感じなかったというパターンは珍しくなく、
あくまで個人的な感覚として捉えていただければと思います。
相性やタイミングなども関係するような気がしています。
御神水の真奈井の水はおいしくいただきました!
本殿裏の磐座
御蔭の滝
国常立尊の磐座(御神体山)
★元伊勢外宮豊受大神社
参照したDVDの収録地にはこの神社が入ってないので存在すら知りませんでしたが、
皇大神社に向かう途中の道に看板を見つけ、迷わず立ち寄ってみました。
ゆっくりと拝殿に近づいていくとなんとなくエネルギーを感じはじめ、
拝殿前で立ち止まった時、それがよりはっきりとした感覚になりました。
拝殿の前でエネルギーを感じるのは、私の場合珍しいことです。
拝殿
参拝後は、境内の中をふらふらと歩いたり、木の根元に寄り掛かってボケッとしてみたり。
一緒にいた友人2人も、自然と言葉少なになり
思い思いの場所でそれぞれの時間を過ごしていました。
境内には私たち3人だけで、とても平和でのんびりとした時間が流れ、
まるで眠気を誘うような、落ちついた空気に包まれている感じでした。
この神社の印象をあとで話してみると、眠くなるような感じで、脱力系の場所だったと
不思議と3人の感想が一致していました。
本殿
★元伊勢内宮皇大神社
皇大神社に到着したのはすでに西日の射し込む時間帯でした。
拝殿
本殿
皇大神社の境内は清々しく、先ほどまであった眠気がなくなり
いつの間にか意識がしゃきっと明晰になっていることに気がつきました。
ここに来る前に立ち寄った豊受大神社で感じていた印象とはまるで違うにもかかわらず、
やはり3人とも同じように感じていたみたいでした。
皇大神社に来たことで、先ほどの豊受大神社で感じた印象が
気のせいや思い込みといったあやふやなものではなかったことが確認できたと思います。
また、それとは別に、皇大神社も場所によって
しっかりとエネルギーの感覚を感じるところもありました。
境内
★天岩戸神社
皇大神社から歩いて15分ほどのところにある渓谷に、天岩戸神社はありました。
写真でもわかると思いますが、崖の上に社殿があり、この大自然が境内というすごい神社です。
とても清々しく、爽快で、いつまででもいられる場所でした。
社殿
社殿の後ろには、いかにも天岩戸というに相応しい大きな岩が、
ぴったりと川をふさいでいました。
友人2人はこのあたりでしばらくの間、瞑想。
天岩戸
ちなみに、この天岩戸神社と皇大神社、そして豊受大神社を合わせて、
「元伊勢三社」というそうです。
★日室ヶ嶽
日室ヶ嶽は、元伊勢皇大神社と天岩戸神社のご神体山。
その形からピラミッドとも呼ばれています。
遥拝所から見ると、夏至の日には日室ヶ嶽の山頂に日が沈むそうで、
私たちが行ったのが6月初めだったので、おしいな〜と話していたところ、
皇大神社の宮司さんが、この時期ならほぼ頂上に来てると教えてくれました。
ちょうど夕方で、天岩戸神社に行ったりしている間に時間になりなりそうだったので、
日が沈むのを待ってみることにしました。
山頂付近に沈む夕日
実際には山頂より少し右に沈みましたが、日没の少し前、
ちょうど山頂付近に太陽があるときにそれらしい写真を撮ることができました(笑)
★天橋立
元伊勢三社を巡ったあとそのまま北上し、夕方のまだ明るいうちに天橋立に到着。
その日は天橋立北側の付け根付近で車中泊。絶好のロケーションでした。
翌朝、天橋立をみんなでのんびり散歩。
とても贅沢な時間をすごせました。
天橋立
天橋立神社
★元伊勢籠神社
天橋立から目と鼻の先にある元伊勢籠神社は、丹後国一宮。
内宮と外宮、両宮の元宮とされていて、ここの宮司家は神代の昔、
神社の始まりから2500年以上にわたって世襲で代々お仕えしているという
他に類を見ない神社です。
気持ちよく、居心地の良いところでしたが、
特に目立って何かエネルギーを感じるところはありませんでした。
拝殿
本殿
★真奈井神社
籠神社参拝後、歩いて数分のところにある真奈井神社に行きました。
真奈井神社は籠神社の奥宮です。
拝殿
はっきり言って、ここはすごかったです。かなり強烈なエネルギーに包まれていました。
心の雑音がなくなり、頭の中はボーっとしてほとんど思考停止状態。
いつの間にか時間感覚もおかしくなっていて、
今が何時くらいなのか、午前なのか午後なのか、そもそも時間て何?と思ってしまうくらい
この境内だけ時間という概念から独立した空間のような印象を受けました。
エネルギーの感覚的には、拝殿の裏にある磐座が特に強烈でした。
エネルギーが強すぎると身体がちょっとしんどくなってくることがありますが、
この磐座の強烈なエネルギーには少しもしんどさを感じることはなく、
むしろそのエネルギーに身を浸したい、なされるがままに身をゆだねたいという気持ちがあり、
できることなら岩にべったり張り付いてみたいくらいでした。
逆に、一緒にいた友人のCちゃんは、強すぎてしんどいと話していたので、
相性があるのかもしれません。
持ってきたペットボトルに真奈井の御神水をいただき、神社の境内を出ると
急に現実に引き戻された感じがして、あらためて不思議な空間にいたことに気がつきました。
真奈井神社は、まるで異次元です。
★比沼麻奈為神社
比沼麻奈為神社も元伊勢外宮とされている神社。
元伊勢籠神社から車で1時間くらいのところにあります。
駐車場に到着すると、宮司さんがなにやらバタバタ忙しい様子で、
ちょうどこれからどこかにお出かけになるところだったようです。
いろいろと案内したいけど今日は出かけてしまうので、
機会があったらまた来てください、と神社のしおりをいただきました。
とても気の良さそうな、やさしい雰囲気の方でした。
社殿
神社境内は、きれいに人の手が行き届いているという印象で、
ゆっくりとした時間が流れ、落ち着いた雰囲気で、ボーっとしてしまうようなところでした。
エネルギー的な感覚も場所によっては感じるような気もしました。
★伊弉諾神宮
伊弉諾神宮は淡路国一宮。国生み神話で知られている伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る神社です。
当初の予定では、わざわざ淡路島まで行く気になれず
伊弉諾神宮はパスするつもりでいたのですが、
ちょうど6月6日の金星の太陽面通過の日にあわせて
淡路島の伊勢久留麻神社でわの舞があることを耳にし、急遽淡路行きを決意。
その流れで伊弉諾神宮にも参拝することができたというわけです。
拝殿
特別な場所という空気はあまり感じられず、
なんというか、良い意味で、ごく日常の中にある神社という印象でした。
エネルギー的には、社殿の右の方にどっしりと根を張る御神木、
「夫婦大楠」の周辺で感じました。
石碑「伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行図」
淡路島は日本神話の国生み、神生みの中心というだけあってたくさんのパワースポットがあり、
伊弉諾神宮の他にもいくつかの場所を訪れましたが、それはまた別の機会にご紹介します。
135度線のパワースポット・神社巡りは、とてもエキサイティングな旅でした。
誰か一緒に行く人がいたら楽しいな〜、となんとなく思っていたら、
とても自然な流れで3人で行くことになり、行く予定のなかった伊弉諾神宮も
思わぬ展開で急遽行くことになり、さらに淡路島のパワースポット巡りまでしてしまい、
まるで何かに導かれるように、次から次へとすべてがタイミング良く展開して行った感じがします。
「ガイアの法則」によれば、東経135度線を訪れるベストなタイミングというのが
人それぞれにあって、そのタイミングで135度線圏内に入ると
そこを中心に働き始めているエネルギーの恩恵を最大限に受けることができるそうです。
私は旅の計画中に「ガイアの法則」に出会い、135度線のことを知ったので、
今回の旅が私にとってのベストなタイミングに違いないと勝手に思い込んでいたのですが、
結果的に、その思い込みが間違いではなかったということを実感しています。
これからも、東経135度線にアンテナを張っていようと思います。
]]>出石神社/養父神社/粟鹿神社@兵庫(但馬)パワースポットhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=822012-07-09T18:36:00+09:002012-07-09T09:45:40Z2012-07-09T09:36:00Z>>厳選パワースポット・神社巡り神社巡りで、兵庫にある出石神社、養父神社、粟鹿神社に立ち寄りました。まずは、出石神社。出石神社は、但馬国一宮です。参道入口私たちが行ったときは、ちょうど企業か何かの団体のご祈祷だったのか拝殿の中にスーツを着た人たちが所狭...Homa神社仏閣・パワースポット・世界遺産>>厳選パワースポット・神社巡り
神社巡りで、兵庫にある出石神社、養父神社、粟鹿神社に立ち寄りました。
まずは、出石神社。
出石神社は、但馬国一宮です。
参道入口
私たちが行ったときは、ちょうど企業か何かの団体のご祈祷だったのか
拝殿の中にスーツを着た人たちが所狭しと座って、
宮司さんが出石神社の由緒などをお話していました。
夕方だったこともあり、団体さんがお帰りになったあとの境内は静かで
とても落ち着いた雰囲気でした。
拝殿(団体さんがお帰りになった後)
境内
私が最初にエネルギーらしきものを感じたのは拝殿右のこのあたり(写真↑)。木の周辺です。
鎮守の森
出石神社には鎮守の森があり、その一部は禁足地になっているのですが、
その禁足地周辺でエネルギー反応がありました。
中でも、禁足地と書かれた看板の前あたりで比較的強く感じました。
この時は知りませんでしたが、出石神社は
国生みの聖地として知られる淡路島の伊弉諾神宮の真北に位置するそうです。
参拝後、養父周辺に移動し、道の駅にある養父温泉で温まりました。
さて、養父神社には翌日の早い時間に行きました。
養父神社鳥居
養父神社はとても穏やかで、やさしい印象でした。
のんびりとしたくなる、気持ちの良いところです。
境内
拝殿の前あたりでエネルギーを感じるような気もしましたが、はっきりとはしませでした。
境内には摂社、末社がいくつかありますが、
社殿右奥にある山野口神社が遠くから見ても異様な存在感で、
周辺では比較的強いエネルギーを感じました。
養父神社摂社・山野口神社
山野口神社のご祭神は大山祗神です。
私は伊勢神宮の内宮の中で唯一強いエネルギーを感じたところが大山祗神社だったので、
単なる偶然の可能性もありますが、個人的に非常に気になる神様です。
境内の横を小川が流れていて、ちょっとした滝があるそうですが、
そこに行った友人の話では、そのあたりがとても気持ちの良いエネルギーに満ちていたそうです。
養父神社のあとは、天空の城として知られる竹田城跡に行きましたが、ここでは割愛!
最後は粟鹿神社です。
粟鹿神社も出石神社と同じく但馬国一宮です。
長い歴史の中でいろいろ入れ替わりがあったようです。
参道入口
粟鹿神社はとてものどかなところで、ゆっくりした時間が流れていて、
静かで居心地の良いところでした。
拝殿
私がはっきりとエネルギーを感じたのは、山の斜面にある稲荷神社への登り口でした。
もちろん、そこから登って稲荷神社周辺でも感じました。
ちなみに、熱海にある来宮神社や、後日行った滋賀の多賀大社に行った時も
私は稲荷神社周辺に反応したので、それについても気になっています。
そしてもう一ヶ所は謎の石の周辺です。(写真↓)
謎の石
ここはなんとなく感じる程度ではっきりしない感じもありました。
一緒にいた友人のNちゃんは結構強く感じたそうです。
また、Cちゃんは猿田彦神社の前で脱力系のエネルギーを感じたらしく、
この神社はみんな感じるポイントが違っていたようです。
後日知ったのですが、今回訪れた出石神社、養父神社、粟鹿神社の他に、
絹巻神社と小田井神社を入れて「但馬五社」というらしく、
初詣にこの五社を巡ると縁起がよいとされているそうです。
パワースポットとして評判の神社に行っても実際、エネルギーを感じないところもある中で、
いずれも同じ但馬という土地にある出石神社、養父神社、粟鹿神社の3社とも
エネルギーを感じたことが印象的でした。
]]>室生龍穴神社@奈良のパワースポットhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=812012-07-09T13:43:00+09:002012-07-09T09:51:10Z2012-07-09T04:43:00Z>>厳選パワースポット・神社巡り奈良の山奥にある室生龍穴神社に行ってきました。御祭神は、高龗神(タカオカミノカミ)。水、雨を掌る龍神様です。だからというわけではないと思いますが、参拝当日は、雨。境内入口境内の入口からすでに並々ならぬ空気がただよっ...Homa神社仏閣・パワースポット・世界遺産>>厳選パワースポット・神社巡り
奈良の山奥にある室生龍穴神社に行ってきました。
御祭神は、高龗神(タカオカミノカミ)。水、雨を掌る龍神様です。
だからというわけではないと思いますが、参拝当日は、雨。
境内入口
境内の入口からすでに並々ならぬ空気がただよっています。
連理の杉(夫婦杉)
境内入って右の方には夫婦杉がありました。
根元が合体して一つになっている夫婦杉はよく見かけますが、
くっついている下に空洞があるこのような形ははじめて見ました。
境内
境内はまさに神域という空気がすみずみまで張りつめていました。
どれも御神木と言っていいほどの威風堂々たる杉の大木がつくりだす
神聖で、荘厳な風景にただ圧倒されるばかりです。
本殿
どの場所にもはっきりとしたエネルギーの感覚こそ感じませんでしたが、
私が神を感じていると思える時に起こる、
ただ自分がその場所にいられることの喜びと、幸福感に満たされていました。
室生龍穴神社では、いつまでもこの場所にいたい、という気持ちが強かったです。
龍穴神社という名前だけあって、近くに龍穴があるようでしたが、
雨が降っていたのと、またこの境内で満足してしまったこともあって行きませんでした。
あとになってそれが少し心残りでもあり、次回は足を運んでみようと思います。
]]>石上神宮と大神神社@奈良のパワースポットhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=802012-07-09T11:18:00+09:002012-07-09T02:25:01Z2012-07-09T02:18:00Z>>厳選パワースポット・神社巡り大神神社(おおみわじんじゃ)は大和国一宮で、三輪山を御神体とする神社です。参拝当日はたまたま日曜日にあたってしまい、雨にもかかわらず駐車場は満車。空きを待つ車が数台並んでいました。ここに来る前は、吉野の山奥の人も少ない静...Homa神社仏閣・パワースポット・世界遺産>>厳選パワースポット・神社巡り
大神神社(おおみわじんじゃ)は大和国一宮で、三輪山を御神体とする神社です。
参拝当日はたまたま日曜日にあたってしまい、雨にもかかわらず駐車場は満車。
空きを待つ車が数台並んでいました。
ここに来る前は、吉野の山奥の人も少ない静かな神社を巡っていたので、
まず人がたくさんいることにちょっとびっくりしながらも、さすが一宮だと感心しました。
大神神社参道入口
大神神社社殿
大神神社は大和国一宮ということ以外なんの予備知識もなく、
雨だったということもあってゆっくり歩き回る気にもなれず、
参拝を済ませると比較的短時間で帰ってきてしまいました。
なので、正直なところそんなに印象には残っていないのですが、
私がよくパワースポットで感じるエネルギー的な感覚はしっかりと感じました。
あくまでも個人的な感覚ですが、
私がそれをはっきりと感じたのは、拝殿に向かう石段の途中の
踊り場のようになっているところです。
たしか拝殿から降りてすぐのところだったと思います。
次回行くことがあったら三輪山に登ってみたいです。
さて、お次は奈良県天理市にある石上神宮です。
天理市の宗教都市としての一風変わった街並みに目を奪われながら、石上神宮に到着。
参道
参道を歩きはじめると何となくエネルギーを感じるような気もしましたが、
いまいちはっきりしませんでした。
拝殿
どっしりと威厳のある社殿は歴史を感じ、見ごたえがありました。
本殿、摂社、末社とも滞りなく、意外とあっさりと参拝終了。
このまま引き揚げてしまうのはあっけなさすぎて、なんか心残りだったので、
境内をふらふら歩いてみることにしました。
門
門に向って右の建物の壁沿いの道が目にとまり何気なく行ってみることに。
(写真↑の右下の奥の方です)
壁沿いの木
壁沿いを歩いて入って行くと奥に一本の木が見えてきました。
すると、このあたりから急にエネルギーの感覚を感じて、
そのまま前方の木の方に近づいて歩いて行くとさらに強くなっていきました。
木の周辺のエネルギーが強いのはわかったのですが、ホットスポットを確認しようと思い、
木を通り過ぎて壁沿いを左に折れて、さらに奥に行ってみると、
右手に広がるうっそうと茂った森の中に入って行く一本の道が見えてきました。
しかし、その道の前には禁足地の看板が。
たしかに禁足地の前でもしっかりとエネルギーは感じましたが、
戻るときに最初に感じた木の横を通るとやはりさらに強くなるような気がしたので、
その時の私の感覚ではこの木がホットスポットという印象でした。
帰りに参道を歩いている時も、行きの時よりはっきりとエネルギーの感覚がありました。
そんなわけで、石上神宮はパワースポットとして比較的強く印象に残っています。
機会があれば、大神神社から石上神宮まで、山の辺の道を歩いてみたいです。]]>丹生川上神社@奈良のパワースポットhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=792012-07-07T18:04:00+09:002012-07-08T08:00:46Z2012-07-07T09:04:00Z>>厳選パワースポット・神社巡り丹生川上神社は上社、中社、下社とあり、いずれも奈良吉野の深い山間に位置しています。私は今回の神社巡りの旅で3社すべて参拝してきました。記録によると、丹生川上神社は古来から祈雨、止雨を司る水の神様として朝廷からも崇敬されて...Homa神社仏閣・パワースポット・世界遺産>>厳選パワースポット・神社巡り
丹生川上神社は上社、中社、下社とあり、いずれも奈良吉野の深い山間に位置しています。
私は今回の神社巡りの旅で3社すべて参拝してきました。
記録によると、丹生川上神社は古来から祈雨、止雨を司る水の神様として
朝廷からも崇敬されていた格式高い神社でしたが、
戦国時代以降はその所在地すら不明となってしまったそうです。
明治以降、所在地の研究調査が行われ、もとは別々の独立した神社だったこの3社が、
その時代の調査結果に基づいて候補地として順次選定されたという経緯があり、
それが丹生川上神社が上社、中社、下社と3社ある理由でもあるようです。
3社とも主祭神が違いますが、共通しているのはいずれも水の神様であることです。
丹生川上神社下社(主祭神・闇龗神)
丹生川上神社中社(主祭神・罔象女神)
さて、パワースポット特有のエネルギー的な感覚は3社とも特に私は感じなかったのですが、
丹生川上神社上社に訪れた時にちょっと嬉しい出来事がありました。
2、3日前から近畿地方は天気が不安定で、上社に行った日も雨が降ったりやんだりの天気でした。
そろそろ上社が近くなってきたころ、急に雨が強くなり、風も吹いてきて、
この天候の中で参拝することを思うとちょっと憂鬱な気分で車を運転していました。
しかし、もう間もなく上社に到着するところまで来ると、
不思議なことに雨は小降りになり、なんと太陽まで顔を見せはじめました。
そして、国道から吉野川沿いの道に入り、何気なくダム湖の方に目をやると、
なんとそこには大きくてきれいな虹がかかっていました。
一気にテンションが上がり、大興奮の中、丹生川上神社上社に到着。
丹生川上神社上社鳥居(主祭神・高龗大神)
私の頭の中は神社がどうとかいうよりも、とりあえず、虹!
神社がちょうど高台にあったので、ばっちり虹が見えました。
丹生川上神社上社鳥居と虹
しばらく虹に見とれたあと、ようやく我に返り、さっそく参拝することに。
私はほとんど何の予備知識もなく行ったので、この時はよく知らなかったのですが、
案内板を見ると丹生川上神社上社は龍神総本宮でもあるらしく、
しかも主祭神は高龗大神(たかおかみのおおかみ)という水、雨を掌る龍神様。
案内板
神社で虹なんてなんか縁起がいいなあ、くらいに思っていましたが、
龍神様が祀られている神社ということになると、水の一つの表現であるこの虹が
とても意味のあることのように思えてきました。
もしかしたら、龍神様が歓迎してくれたのかもしれない、と
ちょっと自分に都合よく考えてみると、この虹が非常に愛しく、とても嬉しく、
この盛大な歓迎に感謝の気持ちがあふれてきました。
参拝を済ませたあと、ふらふら歩いていると、境内のすみの方のダムを見下ろす場所に、
「元宮(旧御社殿跡)遥拝所」という看板が立っているのが目につきました。
なんのことなのかまったく意味がわからず気になったので、
社務所にいた宮司さんに尋ねてみました。
話によると、この神社はダム建設に伴い現在のこの地に移転してきたらしく、
もともとの神社があった場所は今はダムの底に沈んでしまったのだそうです。
先ほどの遥拝所はそこに向かって手を合わせる場所というわけです。
元の社殿がどのあたりにあったのか聞いてみると、
宮司さんも移転後に着任されたそうでちゃんとした場所はわからないけど、
ダムの真ん中にある人工島のような場所の近くに浮かんでいる
ブイの下あたりと聞いている、という話でした。
その時はすでに虹はうすくなっていてあまり気にもとめなかったのですが、
後日、何枚か撮影した虹の写真を見ると、ちょうど宮司さんの話していたブイのあたりに
虹の付け根がきていたことがわかりました。
旧社殿の真上にかかる虹
多少場所がずれている可能性を考慮しても、この日の虹は
少なくとも旧社殿の上空にかかっていたということは間違いなさそうです。
だからどうしたと言われればそれまでですが、
私の中では勝手な妄想がはたらき、龍神様をより身近に感じる思いがしました。
さて、今回この記事を書くにあたり、丹生川上神社上社について調べてみると
いろいろなことがわかってきました。
大滝ダム建設に伴う移転後、元境内地の発掘調査をした結果、
本殿跡の真下から平安時代以前の自然石を敷き並べた祭壇跡など、
時代の変遷とともに数々の遺跡が出土。
さらに、縄文時代の祭祀跡とみられる、いわゆるストーンサークルも発掘されたそうです。
つまり、丹生川上神社上社の元境内地は
祭祀空間として縄文時代から脈々と受け継がれてきた聖地だったということです。
この聖地が今はすでにダムの底。
でもダム計画がなければ遺跡発掘もなかったわけで、とても複雑な気分です。
ここまで来ると、本当の丹生川上神社がどこかという問題は、
もうどうでもいいような気がしてしまいます。
以下、宮司さんに頂いた「ご参拝のしおり」より
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当社境内地は、昭和三十四年の伊勢湾台風による大滝ダム建設に伴い、水没のやむなきこととなり、天下万民の幸福のため、現在地に平成十年三月にご遷移しました。
その後に行われた県立橿原考古学研究所による元境内地の発掘調査の結果、本殿基壇の直下から数期にわたる神社関連遺構が検出され、奈良時代後半から平安時代前期頃に祭場として意識され、平安末期から鎌倉初頭には社殿が建立され、その後、造替を繰り返して現代にまで奉祭され続けてきたことが明らかにされました。
「延喜式」に名が見える古社の全面的発掘は初めてのことで、神社・社殿建築の歴史・展開を考えるうえで貴重な事例とされています。
また元境内地からは、長さ三十センチメートル前後の石棒が十本以上出土。うち一本は直立した状態でした。これらは縄文時代中期末〜後期初め(約四千年前)の祭祀跡とみられています。
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丹生川上神社上社の元境内地に関して興味のある方は、以下のサイトがおすすめです。
湖底に沈む、丹生川上神社上社跡地
聖地の終焉〜我等の時代に
聖域のかたち
]]>伊勢神宮と別宮巡り@三重のパワースポットhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=782012-07-07T17:32:00+09:002012-07-07T08:34:16Z2012-07-07T08:32:00Z>>厳選パワースポット・神社巡り伊勢神宮は2年ほど前に参拝して以来、2回目。(前回の記事:伊勢神宮参拝〜日本人の心のふるさと〜)早朝に参拝するために、前日の夕方に内宮の駐車場に到着。すでに参拝時間の18時を過ぎていて、駐車場には1台の車が残っているだけ。...Homa神社仏閣・パワースポット・世界遺産>>厳選パワースポット・神社巡り
伊勢神宮は2年ほど前に参拝して以来、2回目。
(前回の記事:伊勢神宮参拝〜日本人の心のふるさと〜)
早朝に参拝するために、前日の夕方に内宮の駐車場に到着。
すでに参拝時間の18時を過ぎていて、駐車場には1台の車が残っているだけ。
その1台もやがて走り去って行きました。
ネットの情報では内宮の駐車場で車中泊できるようなことが書いてあったのですが、
駐車場には「夜間駐車禁止」の看板が目につきました。
鳥居前にある見張所の警備の人の目が気になりながらも、
見なかったことにして、駐車場のトイレで歯を磨いたり、顔洗ったり。
ちょっと早いけど車の中で寝袋出したりして寝る準備をしていると、
どしゃぶりの雨の中、自転車に乗って見回りの警備の人がやってきました。
早朝参拝目的であることを告げると、
基本的には夜間駐車禁止だけど、名前と住所、連絡先、車の車種、ナンバーを
見張所に届けることを条件に渋々見逃してくれました。
これで一安心。堂々と車中泊、ぐっすり眠って朝を迎えました。
早朝、雨上がりの宇治橋前です。
宇治橋
伊勢神宮は 外宮→内宮 の順に参拝するのが正式な順序ということで、
前回は外宮を先に参拝しましたが、それだと内宮に行くころには人が増えてしまっていたので、
今回は早朝の人の少ない内宮を先にすることにしました。
雨上がりの参道
正宮
新御敷地ー来年(平成25年)の式年遷宮に向けて着々と準備が進んでいるようでした。
荒祭宮に向かう道
この日の内宮は、とても清々しく、心が穏やかになり、
絶対的な安心感に包まれているような空間でした。
伊勢神宮は日本人の心のふるさとと形容されますが、
特に内宮の境内を歩いているとその意味がよくわかるような気がします。
太古の日本を私は知りませんが、伊勢神宮にはそれを感じるのです。
巨木が点在する境内の森を見ると、
こんな森がそこらじゅうにたくさんあった太古の日本の風景が目に浮かびます。
さらにこの神聖な空気感。
八百万の神々を日常の中でごく当たり前に意識していた神の国日本が、
まるで遠い記憶を思い出すかのようにとても懐かしく感じられます。
今回は、前回行きそびれて心残りだった子安神社と大山祇神社も参拝しました。
パワースポットと言われる神社で時々感じるエネルギー的な感覚を、
私は伊勢神宮のどの場所でも感じたことがなかったのですが、
内宮の境内でもちょっと目立たないところにある子安神社と大山祇神社に行ってみると、
意外にも結構強くそれを感じたのです。
特に大山祇神社の前が強い感じがしました。
それ以来、御祭神の大山祇神に興味を持っています。
次に私が向かったのは、皇大神宮(内宮)の別宮、五十鈴川駅の近くにある月讀宮です。
前回参拝した時は裏の参道から入ったのでわからなかったのですが、
駐車場のある表参道を入ってすぐ右のところに小さなお社があります。
内宮末社・葭原神社
私はこの場所で強いエネルギーを感じました。
何気なく奥に見える巨木に近づいて行ってみたところ、さらに強さを増した感じがしました。
葭原神社の巨木
どうやらこの木が強いエネルギーを発しているようです。
月讀宮は前回参拝した時とても好印象ではあったのですが、
内宮や外宮と同じでエネルギー的な感覚を感じることはありませんでした。
しかし、今回はこの巨木周辺だけでなく、
月讀宮などメインの4社がある場所でもエネルギーを感じました。
お次は倭姫宮です。
内宮別宮・倭姫宮
倭姫宮も皇大神宮(内宮)の別宮のひとつです。
ここは今回がはじめての参拝でした。静かな森の中の長い参道、石段が印象的です。
次はいよいよ外宮(豊受大神宮)です。
ちなみに別宮を含めた今回の参拝順序は、ただ内宮から外宮に行く時に通る順です。
雨にもかかわらず、すでに駐車場にはたくさんの車が停まっていて、
ひっきりなしに出たり入ったりしていました。
前回伊勢神宮に来たときは、どこもエネルギー的な感覚を感じなかった、と先ほど書きましたが、
もちろんそれは外宮も含まれます。
ところが、今回の外宮では、それほど強くはないものの
はっきりとしたエネルギーの感覚を感じたのです。
私がそれに気が付いたのは、正宮を参拝したあと
別宮に向かおうと前の広場のようなところを歩いていた時です。(写真↓)
正宮前広場
別宮の土宮あたりでも感じるような気がしましたが、
そこがホットスポットかどうかまでははっきりとわかりませんでした。
外宮参拝後、今回の伊勢の神宮巡りの最後に行ったのが、
皇大神宮(内宮)別宮の瀧原宮です。
瀧原宮は伊勢から少し離れたところにあるので、
お伊勢参りに来ても、車でないとなかなか立ち寄る機会がなさそうですが、
私個人的には、伊勢のついでではなく、瀧原宮だけを目指して来てもいいと言えるくらい、
強く印象に残っているところです。
内宮別宮・瀧原宮
原生林に包まれた参道を歩いていると心が静まり、
そこが神聖な空間だということがひしひしと伝わってくる感じがしました。
参道を歩いて行った先に突如広がる、整然と社殿がたたずむ明るい空間に入ったとき、
まさに神域という言葉がぴったりとあてはまる、
神気に満ちた神の住む場所に来たような印象を受けました。
参拝中、私の心はただその場所にいられることの喜びと、
何とも言えない幸福感に満たされていました。
また同時に、繊細で心地のよいエネルギーの感覚も感じていました。
参拝を終え、この社殿のある空間から離れるときは、とても名残り惜しい気持ちでした。
雨の中の参拝だったので、晴れていたらまた印象は違うかもしれませんが、
この日私が感じたかぎりでは、瀧原宮はまぎれもないパワースポットだと思います。
さて、今回の伊勢神宮巡りでは、同じ場所に行っても、
その時その時で受ける印象やエネルギーの感じ方が違うということを知ることができました。
機会があれば、またそれを確認しに行きたいと思っています。
]]>椿大神社@三重のパワースポットhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=772012-07-05T13:41:00+09:002012-07-07T08:37:05Z2012-07-05T04:41:00Z>>厳選パワースポット・神社巡り椿大神社(つばきおおかみやしろ)は三重県鈴鹿、入道ヶ岳のふもとにある伊勢国一宮です。個人的には、今回の神社巡りだけでなく、今まで過去に行った神社の中でも最も強く印象に残っているところです。当日は、傘を片手に雨の中の参拝で...Homa神社仏閣・パワースポット・世界遺産>>厳選パワースポット・神社巡り
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は三重県鈴鹿、入道ヶ岳のふもとにある伊勢国一宮です。
個人的には、今回の神社巡りだけでなく、今まで過去に行った神社の中でも
最も強く印象に残っているところです。
当日は、傘を片手に雨の中の参拝でした。
参道入口
参道に入ると、早くもただならぬ空気とエネルギー。
参道
雨の中だったので余計に神々しく感じてしまう部分はあるでしょうが、
畏敬というか、とても厳粛な気分でした。
ところどころでエネルギーの反応はありましたが、
ここの境内はそんなことはあまり重要ではなくさせる
もっと大きな何かに包まれているような雰囲気がありました。
別宮・椿岸神社
本殿に行く前に、椿大神社の別宮、椿岸神社を参拝しました。
ここの主祭神は椿大神社の祭神、猿田彦大神の妻神とされる天之鈿女命(あめのうずめのみこと)で、
全国の天之鈿女命の総本宮だそうです。
天之鈿女命は個人的に興味のある神様なので、ここでの参拝は非常に良い機会でした。
拝殿
椿岸神社からふたたび参道に戻り、いよいよ椿大神社本殿に。
うす暗い参道を歩いてきて最初に拝殿が目に映ったとき、この場所に神を感じました。
私はいろいろな神社に行って、そこのエネルギーを感じたりしていながらも、
神を感じたは記憶はほとんどありません。
神を感じるといっても、その表現自体が非常にあいまいで、
人によってその言葉の使い方も違うでしょうし、感じ方も違うと思います。
ちょっと大げさな表現をしている気もしなくはないですが、
私の場合、感覚的に何か感じたというわけではなく、なんというか、
疑う余地のない直感のような感じです。
言葉にしてしまうととても稚拙な表現になってしまいますが、拝殿を目にした瞬間、
神様はこういうところにいるんだな、とふと思ったのです。
例えて言うなら、自然の創り出した圧倒的な絶景、
大自然の神秘を目の前にした時のような感じに近いかもしれません。
エネルギー的には拝殿の前というよりも、
拝殿から左の方に行った巨木が立っているあたりで強く感じたような気がします。
しかし、本当に強烈なエネルギーを感じはじめたのはそのあとで、
拝殿を背にして、参道を出口に向かってまた歩いている時でした。
いつの間にか得体のしれない多幸感に包まれ、呼吸も浅く、
上半身がふわふわした感じでとても軽く、
歩きながら浮かび上がってしまうんじゃないかと思うくらい
何かの上昇する力に体がおおわれている感じでした。
参道からちょっと入ったところの道に小さな鳥居があって、
鳥居の向こうは森の中に区切られたちょっとした敷地があるという謎の場所があって、
そのあたりで多幸感に浸りながらしばらくボーっとしてました。
参道の出口あたりで感覚がまたちょっと先ほどとは違う質のものに変わりました。
入口の鳥居から右に入っていく小道を進んでいくと地蔵を祀った祠があり、
その前に立つとさらに強烈な感覚がありました。
こんな感じで雨の中だいたい隅々まで歩いてみましたが、
この時私が感じたかぎりでは、ほぼ全域にわたってエネルギーに満ちている印象です。
相性が良かったのか、本当に心の底から行くことができてよかったと思いました。
椿大神社は、すごいです。
神社を出るのがとても名残惜しかったです。
]]>三島大社@静岡のパワースポットhttp://earthlife.jugem.jp/?eid=762012-07-05T11:16:00+09:002012-07-05T04:35:06Z2012-07-05T02:16:00Z>>厳選パワースポット・神社巡り三島大社は伊豆国一宮です。一宮というだけあって敷地も広く社殿も立派でした。本殿街中に位置しているということもあり、
私はあまりパワースポットとしての期待はしていなかったのですが、
以外にも三島大社は、境内のほぼ全域にわた...Homa神社仏閣・パワースポット・世界遺産>>厳選パワースポット・神社巡り
三島大社は伊豆国一宮です。
一宮というだけあって敷地も広く社殿も立派でした。
本殿
街中に位置しているということもあり、
私はあまりパワースポットとしての期待はしていなかったのですが、
以外にも三島大社は、境内のほぼ全域にわたって強烈なエネルギーの感覚がありました。
そういう意味で三島大社は私の中ではちょっと別格でもあり、
今回の神社巡りの中でも特に印象に残っている神社の一つです。
その三島大社の中でも特に強く感じた場所がいくつかあります。
鳥居をくぐると両側に池がありその真ん中が参道になっています。
この参道を歩いていると早くも強い感覚におおわれ、
特に私は左側の池の方から強いものを感じるような気がしました。
左側の池には厳島神社があります。(写真↓)
厳島神社
エネルギー反応があると私はどうしても発信源を突き止めたくなってしまうのですが、
このお社の前まで行ってみてもよくわかりませんでした。
とりあえずこの池を一周してみようと、
本殿へ向かう門の手前を池沿いに左に歩いて行ってみると・・・
いらっしゃいました(笑)
てっ、手がある・・・、今にも歩きだしそうです。
といっても、このお方の周辺が格別強いというわけでもなく、
結局一周してもよくわかりませんでした。
とにかく、池の周辺全域にわたって強いということです。
さて、三島大社は本殿に行くまでに二つの門を通過します。
次に私がホットスポットのような印象を受けたのは、二つ目の門の周辺、
ちょうどそこは神馬舎の正面でもあります。
ちなみに、古くから三嶋大社の神馬は毎朝神様を乗せて箱根山に登ると言う伝説があるそうで、
子供の成長と健脚を祈る風習があるそうです。
門を入って社殿がある敷地にいるときはそこまで強く感じなかったけど、
またこの門の周辺に近づいてくるとやっぱり強くなる感じがしました。
最後にもう一つ。
参拝終わって境内をふらふら歩いていると、
たくさんの鹿が飼育されている神鹿園という場所がありました。
三島大社の境内に入ってから、なんか糞尿臭いな〜と思っていましたが、
臭いの発信源はここだったようです。
この神鹿園の柵沿いを歩いていると、またどこかのホットスポットに近づいているような感じで、
エネルギー反応がどんどん強くなりはじめたのです。
鹿しかいないのになんでだろう、と思いながら周りを見渡すと
近くに比較的大きな木が見えました。
ホットスポットと思われる木
エネルギーの感覚を強く感じながら近づいてみると、木の根元に黒猫が仰向けになって
まるでそこのエネルギーに全身を浸しているかのように気持ちよさそうにねていました。
黒猫(近づいてカメラを向けたら起きてしまいました)
猫はエネルギーに敏感と聞いたことがあるので、
この黒猫もエネルギーに感応してこの場所がお気に入りなのかもしれません。
境内をだいたい隅々まで歩き終えて、また最初の池の真ん中の道を歩いていると
やはりかなり強烈にエネルギーを感じました。
いままでパワースポットと噂されるいろいろな神社に行きましたが、
ここまで強烈に、しかも広範囲にわたってエネルギー反応があるところは珍しいです。
あくまでも個人的な印象で、2回目行ったらその印象は変わるかもしれませんが、
今のところ私の中で三島大社は、別格です。
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