ヴィパッサナーは、ゴータマ・ブッダが悟りに至った瞑想法といわれています。
そのヴィパッサナー瞑想法を普及させるために世界中に瞑想センターがあるそうですが、
日本では日本ヴィパッサナー協会が運営するセンターが京都と千葉にあります。
指導者によってヴィパッサナーも多少やり方が異なる場合があるそうですが、
日本ヴィパッサナー協会はS.N.ゴエンカ氏の指導によります。
私は京都のダンマバーヌという瞑想センターで定期的に開催されている、
ヴィパッサナー瞑想法を実践する10日間の合宿に先月参加してきました。
ヴィパッサナーに関してはブッダが悟りを開いた瞑想法だということは以前から知っていて、
旅の途中で会った人などに「自分の呼吸を意識する」という話を聞いて、
気が向いたときなどに自分で勝手にやったりしていたこともあります。
日本に瞑想センターがあって合宿コースがあるということを最近知り、
最初はたいして興味を持っていなかったのですが、
ある朝ベッドの上で
ヘミシンクを聴いているときに、
ふと自分のここ数年間のスピリチュアルな事柄に関するいろいろな経験を思い返し、
もしかしたらヴィパッサナーの合宿も何かステップアップするための経験の一つとして、
自分の目の前に今こうしてわかりやすく用意されているのかもしれないと思うに至り、
かなり積極的な気持ちで参加することを決めました。
10日間のコース中、参加者同士で会話をすることや身振りやアイコンタクトなどで
コミュニケーションをとることを禁じられているという話をあらかじめ聞いていて、
コースのことを人から聞くとそこばかりがクローズアップされている印象があったので、
その10日間コミュニケーションをとらないということが精神的に作用することで、
何か心の鍛錬になり、そこにこの合宿の鍵があるのかもしれないと勝手に想像していたのですが、
実際のところはそうすることで集中力を高め、
瞑想中にいろんな雑念が出てくるのを助長させないためという目的があるそうです。
この「聖なる沈黙」は私にとっては少しも苦痛ではなく、
精神的に何かネガティブに働くわけでもなく、瞑想の集中力を高めるという目的以外では、
たいして重要なことではありませんでした。
ただ一度だけ5日目あたりの休憩中に太陽のまわりに虹色の輪が出ていたとき、
それをみんなに教えてあげられないもどかしさを感じたくらいです。
私にとっては何よりも、ヴィパッサナーという瞑想法そのものが
かなり衝撃的なものでした。
全宇宙すべてが波動で成り立っているということに関して、
今でこそ量子論などで証明がされつつあり、
ニューエイジ系の本などを開けばどこにでも書いてあるような内容ですが、
2500年以上前、すでにゴータマ・ブッダはそのことに気が付いていました。
それを踏まえた上でヴィパッサナーがこれほど論理的に考えられ、
悟りまでの道を合理的に導く瞑想法だったとはまったく予想もしていませんでした。
ちなみに、S.N.ゴエンカ氏指導のヴィパッサナー瞑想に興味がある方には、
ぜひこちらの書籍をお勧めします。
ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法ゴエンカ氏の講話の録音MDを聞く時間がコース中、毎晩あるのですが、
ヴィパッサナーに関する様々な内容の話があり参加者にも大変人気があるそうで、
私も毎晩の講話を聴いていた時間のことはとても印象に残っています。
この書籍はその講話の内容を中心にまとめられているようで、
レビューを見てもわかるようにとてもわかりやすく説明がされているそうです。
私はコース終了後、センターに置いてあったものに少し目を通したくらいなので、
早速購入して読みたいと思っています。
ヴィパッサナー瞑想についての正確で詳細な内容は本を読んでいただくとして、
ここではあくまでも10日間コースに参加して実際に私が体験したことや
感じたことに主眼を置くことにします。
----------- はじめにこちらをお読みください -----------
ヴィパッサナーは身体の感覚を客観的に観察するという瞑想法です。
これから10日間コースに参加する予定のある人は、
捉え方によってはここで読んだ内容が先入観となり
それがかえって瞑想する上で障害になる可能性もあります。
ただ、最後まで通して読んでいただければご理解いただけると思いますが、
重要なのは感覚の種類ではなく、その感覚を“いかに平静な心で観察するか”にある
ということを指導者のゴエンカ氏は仰っています。
感覚の感じ方は人それぞれで、
ここに書いていることはあくまでも私の個人的な体験であることを
あらかじめご理解いただいた上でお読みいただければと思います。
また、ヴィパッサナー瞑想法を学ぶには独学ではなく、
一度10日間コースに参加し、正しい指導を受けることが必要とされています。
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さて、10日間コースは毎朝4時に起床し4時半から瞑想開始。
1回の瞑想は長くて1時間半。
途中、数分の短い休憩やちょっと長めの食事休憩などの時間以外、
毎日10時間程度瞑想することになります。
最初の3日間と4日目の午後3時までは、
呼吸を観察する瞑想法アーナパーナをひたすらやり続けます。
私はコース参加以前、この“呼吸を観察する瞑想法”がヴィパッサナーだと思っていましたが、
これはアーナパーナという瞑想法で集中力を高め、心を静めるために行います。
これはヴィパッサナーに入るための準備段階と捉えることもできると思います。
呼吸の観察は私の場合よく睡魔におそわれ、
寝ているのか起きているのかわからない状態もたびたび経験し、
まるで夢でも見ているかのようにいろんな思考やイメージが
ひっきりなしに現れては消えて行きました。
ずっとこの調子では飽きてしまいそうですが、
アーナパーナにも段階があり回を重ねるごとに、日を追うごとに
指示に従って観察するポイントが変わっていきます。
観察の内容が変わってから集中力が増してきたのか、
次第に眠気におそわれることも少なくなり、
いろんな思考やイメージの明滅も減っていきました。
私は呼吸による空気の流れを鼻の中の奥の方でしばらく観察しているときに、
目頭の近くの鼻の付け根の骨のあたりに
いつから生じているのかわからない違和感があることに気付いたのですが、
その後観察の内容が変わってもその違和感は常に現れていました。
その感覚を言葉にするなら、圧迫感のようでもあるし
逆に上の方に引っ張られる感覚のようでもあります。
かすかに感じるという種類のものではなく、
感覚に意識を集中すればするほどその感覚は強くなり、
ものすごい強い力で鼻の骨のあたりを上の方に引っ張られている感じで、
次第に痛みも伴ってくるほどでした。
そして最終的にはそれと同様の感覚が
鼻の穴の下から上唇の上という狭い範囲にも感じるようになりました。
コース4日目の午後3時にいよいよヴィパッサナーの指導が開始され、
この時だけ3時から5時まで休憩なしで説明を聞きながら瞑想をしました。
10日間を通して、ゴエンカ氏の指導のあとに女性の方が日本語に通訳するという
録音MDを聞きながら瞑想する形式になっていて、
毎回その内容によってMDを聞く時間が短かったり長かったりします。
瞑想法の新しい指示が出されるときなどは通常より時間が長くなるのですが、
ヴィパッサナー開始のこの2時間は終始MDを聞きながらの瞑想だったと思います。
なぜこんなこといちいち細かく書くかというと、
私はこの通訳の女性の訳し方というか言葉の選び方と話の間の取り方、
そして何よりも気高さとやさしさをあわせ持つ女神のような声が好きで、
瞑想しながら聞いていると本当に心の奥のほうまで染み入るような感じがするのです。
通訳の女性の言葉や話し方、声などの影響や
瞑想に集中していて心が敏感になっていたという理由もあると思いますが、
説明を聞きながら瞑想するこの2時間の中で、
私はヴィパッサナーという瞑想法に出会えたことに感動し涙を流しました。
なんか本当に入り込んでいたという感じだったのだと思います。
さて、ヴィパッサナーは最初に頭のてっぺんに意識を合わせます。
実のところ私は後頭部から頭のてっぺんにかけて上に引っ張られるような感覚を
このコースに参加するずっと以前から持っていて、
それに加えて今回鼻の骨のあたりと鼻の下にも同じような感覚を感じるようになり、
アーナパーナからヴィパッサナーに移行し、
鼻から頭のてっぺんに意識を移した瞬間それらの感覚が合体し、
そのまま身体が浮いてしまうんじゃないかと思えるくらい
非常に強く上に引っ張られる感覚に圧倒されていました。
ヴィパッサナーは身体の感覚を客観的に観察するという瞑想法で、
たとえどんな感覚があったとしても常に心は完ぺきな平静さを保ち続けることが
何よりも重要だということです。
私は身体のある一部分を感じるというワークのようなことを
実は以前から時々やっていたことがあって、私の場合特に手と足が感じやすいのですが、
意識を置くとしびれるようなざわざわするような感覚を感じることができ、
そして手から腕全体にかけて、足から脚全体にかけて意識を移動させて行くと
それに合わせてそのしびれるようなざわざわした感覚も一緒についてくるという感覚を
もともと感じることができていました。
ここからちょっと余談です。
これは意識の移動に合わせて身体の中を
エネルギーが流れているのだと私は勝手に解釈していたのですが、
アシスタントティーチャーの話では、
通常の顕在意識では感じ取ることができていないだけで、
潜在意識レベルでは身体中に何かしらの感覚、
究極は身体を構成する波動の粒子の振動までをも常に感じ取っているらしく、
身体のある部分に集中して少し洗練された意識を置くことで
その一部の感覚を感じ取っているという仕組みらしいです。
つまり、意識の移動に合わせて身体の中を何かが動いているのではなく、
意識を移動させて行くことでその場所その場所でもともとある感覚を感じ取って行くために
まるで何かが移動しているような錯覚をしてしまうということなんだと思います。
ちなみにヴィパッサナーは、心の平静さと意識の集中が完ぺきなものになっていくと
身体を構成する粒子の振動をはっきりと身体全体に感じている状態になるそうです。
ただ、このような感覚の分析はヴィパッサナーをする上では少しも重要なことではなく、
何の意味も成さないそうですが、私個人的にはとても興味のあることだし、
私以外にも興味のある人はたくさんいると思うので一応書いてみました。
というわけで、コース4日目にヴィパッサナーを開始した段階では、
ざっくりではありますが手と腕全体、足と脚全体は
わりとスムーズに流れるような意識の移動と感覚の観察ができたのですが、
それ以外の場所はほとんど何も感じることができず、地道な観察がしばらく続きました。
何も感じることができない部分に意識を合わせるということを
毎回毎回繰り返すのは精神的にとてもこたえる作業でした。
次第に集中力も持たなくなり再びどうでもよい思考やイメージに
意識を持っていかれることもしばしばありました。
私はただ服が触れているというような感覚では満足できず
何かしら新しい感覚を感じることを求めてしまっていました。
腕と脚が最初からスムーズに出来たのでなおさらです。
しかし、身体の感覚を観察する上で最も大切なことは
“常に完ぺきな平静さを保つこと”
それはなにも感覚を感じない場合も同じです。
感覚そのものに何か価値があるわけではなく、大事なのはどんな状況であっても
“常に完ぺきな平静さを保つこと”
ゴエンカ氏は事あるごとにこれを強調していました。
感覚を渇望することなく
感覚に執着することなく
感覚を嫌悪することなく
常に完ぺきな平静さの中で自分の身体を観察していくのです。
自分の身体の感覚を使って苦悩の原因である渇望、執着、嫌悪などの
サンカーラ(心の反応、反発する部分)を潜在意識の奥深くから浄化していく。
これがヴィパッサナーです。
ヴィパッサナーをやっていて時に精神的にしんどくなってしまうことがあるのは、
感覚を渇望し、執着しているために苦悩を生んでいることが原因であることはわかっていたので、
私は意を決して渇望と執着を捨て、何も感覚を感じない部分でも
ひたすらに平静な心で意識を集中し、ただ観察することに専念しました。
すると時折生じていた焦りや苛立ち、失望感といった精神的なしんどさもなくなり、
腹が据わったというか、わりとリラックスして瞑想を続けられるようになってきました。
それが良かったのか、今まで感覚をほとんど感じなかった部分にも
新たな感覚が出始めました。
それは筋肉が硬直しているような部分もあれば、
まるで電気で刺激したように筋肉がビクビクと動くといった
決して心地よいと言える感覚ではありませんでした。
最初は意識を置いている間このような感覚が現れましたが、
そのうち意識を別のところに移動させても筋肉がビクビク動くことがしばしばありました。
肩から背中の肩甲骨のあたりにかけては意識を置く置かないに関係なく、
気がつくと筋肉が硬直していて痛みもありました。
アシスタントティーチャーにこれに関して質問すると、、
どんな感覚であっても感覚は感覚。
感覚を分析する必要はないけど、もしかしたら浄化の過程で
古いサンカーラが肉体的な感覚となって出てきているのかもしれない。
ということでした。
コースに参加したことのない人には
これだけでは何を言っているのかよくわからないと思うので、
補足として以下も参照ください。
コース中、ゴエンカ氏による録音MDの中で
ヴィパッサナーに関してこんな説明もありました。
人間には感覚があってその感覚に心が反応し、反発をすることが
苦悩の原因であることにゴータマ・ブッダは気がついた。
だから感覚をただ平静な心で観察することで新たな苦悩を生むことがなくなる。
しかし過去に生み続けてきた潜在意識に押し込められている古いサンカーラがあるうちは、
それが引き金となって新たなサンカーラを誘発しまた苦悩を生んでしまいかねないので
苦悩をなくすためには潜在意識に押し込められている古いサンカーラも
完全に根絶やしにする必要がある。
そのためには、渇望や嫌悪や執着といった新たなサンカーラが出てきたとき、
それは潜在意識に押し込められた同じ種類の古いサンカーラとも結びついているので、
それを平静な心で観察した時にその古いサンカーラも少し浄化される。
また、心や潜在意識の状態というのは何らかの肉体的な感覚として常に現れているので、
その感覚を完ぺきな平静さで観察することで古いサンカーラを浄化することができる。
※サンカーラ=心の反応、反発する部分
記憶を頼りに書いたのでもしかしたら間違っている部分もあるかもしれませんが、
ざっとまとめてみるとこんな感じだったと思います。
筋肉の硬直には鈍く重い痛みが伴っていたし、
ビクビク動くのもどちらかと言えば不快な感覚でしたが、
古いサンカーラが浄化されているということも考えられるし、
その上今まで何の感覚も感じられなかった部分だっただけに、
何かしらの感覚があるということに正直嬉しさもありました。
しかし、そこは平静な心でその感覚をただ観察することに努めました。
すべての感覚に共通の性質。
それは現れては消えていくということ。
アニッチャ アニッチャ アニッチャ
ゴエンカ氏がこう話すように、
筋肉の硬直や痙攣のような感覚もいつの間にかなくなり、
ふたたびまた何の感覚も感じなくなりました。
そしてたぶん9日目くらいだったと思うのですが、
感覚の感じ方についてまた新しい指示が出されました。
このやり方が私に合っていたのか、
それまで手から肩、足先から脚の付け根、顔といった部分にしかなかった
粒子のような均一で微妙な感覚が、急にほかの部分にも現れ始めました。
それ以来、身体のだいたいの部分で感覚を感じ取りやすくなり、
その感覚もたぶんゴエンカ氏の言う粒子のような均一で微妙な感覚と
同様のものだったと思います。
私の場合身体の多くの部分でこの均一で微妙な感覚が続いたときは、
不思議なことに長時間座っていても疲れや脚の痛みなどをまったく感じることがなく、
一回の瞑想(1時間〜1時間半)の間、あぐらを組んでる脚を少しも動かさなくても
何の苦痛も感じませんでした。
そして10日目、コース最終日。
10日目の午前中はヴィパッサナーではなく
メッター・バーヴァナーという愛と慈しみの瞑想を行い、
それを終えて朝9時半を過ぎると「聖なる沈黙」が解かれます。
9日間静けさに包まれていたセンターが参加者の話し声で一気に騒がしくなりました。
私は頭があまり働かないというかボーっとした状態が続いていましたが、
何か話さなければいけないような気がしてきてしまって、
心ここにあらずという感じの中、少しの間何人かの人と9日ぶりの会話を楽しみました。
この日の日程は、午後にグループ瞑想とゴエンカ氏のビデオを見る時間があり、
夕方にまたグループ瞑想をした後に講話の時間という感じで、
あとの空いている時間はすべて自由時間でした。
昼食の間も、そして午後になっても参加者の話し声はやむことなく、
常時開放されていた食堂の中は会話で満たされていました。
私もその中にいたのですが、一時誰とも会話をしていないタイミングがあり、
食堂に置いてあるヴィパッサナー関連の資料などを一人で読んでいました。
すると間もなく、次第に周りの人たちの声が雑音に感じ始め、
やがて騒音の中に自分がいるような感覚になり、
それとともに自分の心の中が苛立ち始めていることに気がつきました。
同時にその状況に上手く順応できない自分と周りとのギャップを心のどこかで感じ、
悲しさや淋しさといった感情も入り混じり、とても複雑な心境になってきました。
私はいてもたってもいられなくなりすぐに食堂から出て、
グループ瞑想までにはまだ結構時間がありましたが、瞑想ホールに行き瞑想をしました。
あとから思えばあの時の状況は、
その時の私にはまだ刺激が強すぎたのだと思います。
そんなことがありながらも、実は私にとってはその日の夜の瞑想が、
10日間のうちでいちばん良い状態で、
身体のほとんどの部分に均一で微妙な感覚を感じることができ、
それを平静な心で観察しました。
まだまだ話し足りない人たちのためにこの日は夜の10時まで食堂が解放され、
私の部屋でも半分以上の人が部屋にいませんでしたが、
私は講話の時間が終わるとすぐに布団にもぐり込みました。
そしてこの日の夜、布団の中で私はとても不思議な体験をしたのです。
ヴィパッサナーをはじめてから何日か過ぎたころから、
私は布団に入ってから寝入るまで、ルールを決めずに自由に身体の感覚を楽しんでいたのですが、
とてもリラックスしているせいか瞑想中よりも敏感に感じ取ることができ、
特に私は腕と脚が感じやすくいつもしびれるようなざわざわした感覚の中で
眠りについていました。
時には朝目覚めたときもその感覚が持続している日もありました。
こんな感じで最終日の夜も自由に身体の感覚を楽しんでいました。
そして間もなく意識も遠くなり、もう半分寝かかっていて
ぼんやりと変な夢を見始めたくらいの時だったと思います。
身体全体が、結構強めの炭酸みたいな感じで
シュワシュワした感覚に包まれていることに急に気が付きました。
すると次の瞬間、身体の重みがなくなっていくというか
身体全体が上に引っ張られていくような感覚があり、
最初に背中と脚が地面を離れはじめ、
最後にいちばん重かった腰のあたりにも重さを感じなくなり、
身体全体が完全にまるでふわっと宙に浮いたような感じがしたのです。
その時私の頭には、どんな感覚も平静な心で観察するという意識が働いていたのですが、
あまりに強烈な状況に恐怖感を抱いてしまいました。
恐怖感が心に芽生えるや否や、身体はすぐに重みを取り戻し地面に引き寄せられました。
実はこの直前に見ていた夢がまた変わっていて、
自分の身体の波動の振動数が上がってしまっている状態で、
ドアの向こう側に行きたいのだけど、
ドアを開けるときに自分の手がドアノブをすりぬけないで
しっかり握ることができるかを心配しているという夢でした。
そのあともまた同じような状態を求めて、
しばらく身体の感覚に意識を集中していましたがなかなか思うようにはいかず、
感覚に執着している自分に気づき、素直に寝ました。
実際に肉体が浮いていたのか、それとも幽体離脱のようなものだったのか
目を開けていたわけではないのでわかりませんが、
唯一確かなことは、宙に浮いたような感覚は確実に感じていたということです。
この翌日の朝いよいよ10日間のコースが終わり参加者は再び俗世間に戻っていくわけですが、
次のコースが始まるまでの数日間、奉仕をしながらセンターに残ることもできます。
私は最後の夜の瞑想がいちばん良い状態だったということもあり、
おまけに布団の中での不思議な体験もあったので、
もう少しセンターで瞑想を続けたいと思い、奉仕をしながら残ることにしました。
その期間も1日3回のグループ瞑想は継続されます。
私が参加していたコース中に奉仕で参加していた人たちとも知り合うことができて、
いろいろ話を聞くことができましたが、ほとんどの人がヘビーリピーター、
つまりコースに古い生徒として参加したり、今度は奉仕としてコースに参加したりを
何度も繰り返している人たちでした。
私はほんの数日間でしたが、庭の手入れをしたり布団に掃除機をかけたり、
次のコースのための布団のセッティングをしたりという作業をさせてもらいました。
この期間は人も少なく静かで、
センターはコース中とはまたぜんぜん違う雰囲気でした。
そんな中で1日3回のグループ瞑想。
食事も菜食は同じだけど1日3食、普通にお腹いっぱい食べるし、
毎日会話も普通にしているので、正直な話、
瞑想の内容としてはコース中ほど良い状態とはいえませんでしたが、
また違った空気の中での瞑想はある意味新鮮でした。
そして、この期間残ったから知り合えた人や知ることができたこともあったし、
またこの期間残ったからセンターを出たあとの予定なども変わったので、
瞑想も含めいろんな面で私にとって必要な数日間だったのだと思います。
・・・かなり長くなってしまいましたが、
これがダンマバーヌ、ヴィパッサナー瞑想センターで
10日+数日の間に私が体験したことです。
心が求めることがあるなら、今度は古い生徒として
あるいは奉仕する側としてコースに参加することもあるかもしれません。
Be happy!
日本ヴィパッサナー協会
http://www.jp.dhamma.org/index.php?L=12ヴィパッサナー瞑想参考書籍
ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法