常に生徒さんが瞑想に専念できる環境づくりを第一に考えているという点です。
私はコースマネージャーでしたので、
生徒さんからいろいろな要望や相談が持ちかけられることがあります。
その場合、私自信でも対処できることもありますが、たいていはATに報告し、指示を仰ぎます。
足が痛い生徒には椅子を、
腰が痛い生徒には座椅子を、
母国語が日本語でも英語でもない生徒には母国語の講話を、
体調を崩してしまった生徒には薬を、
風邪の予防を一人の生徒が提案したときは
マスクやうがい用の塩水、全員に専用のコップを即座に用意するなど、
他にもあげればいろいろありますが、
生徒さんの要望には可能な限り応えるという姿勢を感じました。
また、あるときATが食事をあまり召し上がっていないことがあり、
キッチンの奉仕者が心配してATにそのことについて尋ねたとき、
「私のことは気にしなくていいから、あなたたちは生徒さんのことだけ気にかけていなさい」
と仰っていたのがとても印象的でした。
今回奉仕をして、コースの裏側、運営側を見て思ったのは、
これだけの人がいろいろなことをやってくれているお陰で生徒はコースに参加できるということ。
そのことを頭では理解していたつもりでしたが、
実際に奉仕をしてみて体験を通して実感することができました。
これはコース中に限ったことではなく、
コースとコースの間の期間にも作業をしてくれている方たちがいて、
生徒が少しでもセンターで快適に過ごせるようにいろいろ工夫しながら、
少しずつセンターの設備の充実を図っています。
私は自分が生徒として、前回京都で10日間コースにはじめて参加したときのことを思い出し、
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
また、今回のコースはセンターで年を越し、正月を迎えたわけですが、
生徒さんにしても奉仕者にしてもそんなことは関係なく、
年越しも正月もあまり意識することもなく過ぎ去ってしまうのだろうと思っていたところ、
古い生徒さんでおもちをダーナ(寄付)してくれた方がいて、
生徒さんはもちろん奉仕者も全員、元日の朝食にお雑煮を食べることができ、
お陰でつかの間の正月気分を味わうことが出来ました。
本当に感謝です。ありがとうございました。
あとで聞いた話によると、そのお雑煮に感動して涙した生徒さんもいらしたそうです。
奉仕は、また違った角度からヴィパッサナーを体験できるとゴエンカ氏は言います。
今回の経験で、その意味が少しだけわかったような気がしました。
10日の間にはいろいろなことがありましたが、
全体を通して楽しく、とても充実していたというのが正直な感想です。
さて、続いて次のコース、2012年最初の10日間コースは生徒として参加。
当初はそのまま次のコースまで奉仕をしながら、センターに滞在するつもりでいましたが、
前のコースの8日目くらいから風邪をひいてしまい、
コース終了日の午後、大事を取って一回外へ出ることにしました。
その甲斐あって数日で回復し、Day0(コース初日)の前日にセンターに戻り、
翌日は朝からコースの準備に参加することが出来ました。
Day0の作業はこんな感じです。
生徒さんの宿泊棟の布団、名札セッティング。
テントの中のセッティング(テントを使う予定があれば)。
トイレ、シャワー室、洗面台などの清掃。
コース受付のセッティング。
瞑想ホールのセッティング。
などです。
これに並行してキッチンでは当日の夕食、翌日の朝食、昼食の準備を行います。
また、昼過ぎと夕方には最寄りのバス停に生徒さんを迎えに行く仕事もあります。
この日は私がその送迎担当でしたが、昼過ぎの便で来る生徒さんを迎えに行った時、
バスから降りてきた数人の中に知っている顔があり、びっくりしました。
ヴィパッサナーの10日間コースでは予想外の再会の話をよく聞きますが、
まさにそれを体験した瞬間でした。
Tさんとはホールで座る席もとなり同士だったりして、何かの縁を感じました。
縁といえば、このコースのコースマネージャーは、
なんと私がはじめて京都でコースに参加した時のコースマネージャーと同じ人でした。
私は生徒としてはこれが2回目のコースでしたので、
2回とも同じコースマネージャーということになります。
これも縁を感じますね。
また、今回センターですごした約1ヶ月の間に、たぶん実際には会ったことがないのに、
「この人どこかで見たことあるな〜」とか、「なんかこの人知ってるな〜」と思う人が
何人もいたのがとても不思議で印象的でしたが、なんと驚くべきことに、
夜の講話の中にそれについての説明がしっかりと用意されていました。
講話のその部分を要約すると・・・
コースの参加者の中にはどこかで会ったことがあるような気がする人がいますが、
それは過去世においても共に瞑想の修行に励んでいたことがあるから。
ということです。
なるほど。なんか納得してしまいます。
今回のコースは男性が10名くらいで、女性が20名くらい。
京都に比べると千葉は少人数です。
さて、こんな環境で参加した生徒として2回目のヴィパッサナー瞑想10日間コース。
最初の3日間はアーナパーナです。
これまでのコース参加の体験を通して、
アーナパーナは眠気と雑念との闘いという印象がありました。
今回もやはり最初のうちはその印象どおりという感じでした。
私は瞑想中に眠くなるのは脳が睡眠時と近い周波数になるからだと勝手に解釈し、
だから眠くなってしまうのは仕方のないことだと都合よく考えていました。
ところが夜の講話の中で、「眠気は心の拒否反応の現れ」と言っていたのを聞き、
それなら克服できるはずだと思い、アーナパーナをやりながら、
眠気が来たときは同時に眠気を観察することにしました。
絶対に意識を保ち続けると強く決意し瞑想していると
眠気で意識が遠のいてきても、あと1秒くらいで意識がなくなるという瀬戸際で気がつくことも増え、
そのたびに強い呼吸をするように心がけました。
すると、それまでの眠気がウソのように頭が冴えわたり、
かなりクリアな意識の中でアーナパーナに専念することもできました。
集中力が高まるにつれて呼吸は浅く、空気の出入りも極めて少なくなり、何もかもが静かな状態。
その時の静けさは何とも言えない心地良さがありました。
静けさに包まれているような、もっとも安全な場所のような、そんな感じです。
集中力の度合いを言葉で説明することは難しいですが、
今までの瞑想経験の中でもっとも静かで、集中した状態を経験しました。
新しい生徒だけでなく、なぜ古い生徒も最初の3日半をアーナパーナに費やすかというと、
さらに洗練されて、研ぎ澄まされた集中力を養うためで、
それはそのあとの、ヴィパッサナーに大きく影響してくるとゴエンカ氏は言います。
ヴィパッサナー瞑想をする上でもっとも大切なことは、いかに平静でいられるかです。
私はこれを理解しているつもりでいたのですが、
このコースで私はまだまだ感覚に振り回されているということを強く思い知らされました。
京都で参加したはじめてのコースや、コースマネージャーとして参加した直前のコースでは、
いわゆる流れるような感覚を感じることもあり、
また、このコースでは、わりと集中してアーナパーナに専念できたので、
4日目以降ヴィパッサナーをはじめたら、こんどはどんな経験が待っているのか、
正直なところ期待を大きく膨らませていたのです。
ところが、その期待を裏切るように、ヴィパッサナーをはじめて数日、
何も感覚を感じられない部分が結構あるという状態でした。
感覚がなかった部分に感覚を感じるようになったことはあっても、
感覚を感じていた部分の感覚がなくなるという経験ははじめてだったこともあり、
自分では平静さを保っているつもりでしたが、
思うように感覚を感じられない部分を観察するたびにストレスを感じ始めていました。
この時私は感覚を渇望し、感覚に執着し、感覚のない部分を嫌悪していたのは明らかでした。
そして、5日目の午前中。
いつの間にか私の心は苛立ちはじめ、瞑想中の何か些細なことでも
その苛立ちが増幅して行くのを感じていました。
平静でいることを努めようとしましたが、その感情はなかなか鎮まろうとはせず、
次第に私の心の中では、ヴィパッサナーを、ホールでじっと座っていることを、
そしてこのコースに参加していることすべてをやめてしまいたい気持ちが、
今にも破裂しそうなほどに膨れ上がっていました。
ホールの外に出て大声で叫んだり、力尽きるまで全力疾走をしたり、
とにかく体中に蓄積された得体のしれない不快な何かを発散したい強い衝動にかられながらも、
私は立ち上がらず瞑想を続けました。
しかし、黙って座っていることはなんとか出来たものの、
そのうちヴィパッサナーをすることがまったく出来なくなってしまいました。
感覚を感じる、感じない以前に、意識を動かすことすら出来なくなってしまったのです。
完全に脳がオーバーヒートし、活動を停止。
私の言うことを聞いてくれない、そんな印象でした。
仕方がないので何もせずただ座っていると、まもなくお昼の鐘が鳴ってくれました。
私はすぐにホールの外に出て、椅子に腰かけしばらく放心状態。
いつもはゆっくり落ち着いて食べていた食事も、
この時は少し興奮気味にガツガツと勢いよく食べました。
昼食後も何かを発散したい気持ちは変わらず、全身が自然を求めている感じがしたので、
私はサマーベッドを持ち出し、あまり人の来ない雑木林に近い方で日光浴をすることにしました。
ちょうど天気もよく穏やかな日だったので、全身で太陽を浴びているととても気持ちよく、
少しずつ心が落ち着いて行くのを感じながら眠りに落ちました。
この自然の中での昼寝でだいぶ回復し、午後はなんとかヴィパッサナーを再会することができました。
コース後半になると、全身に感覚を感じるようにはなったものの、
それはすべてサンカーラと思われる、いわゆる凝固した荒削りな感覚のオンパレード。
この時は痛みを感じることが多く、その中には刃物で切りつけられたような、
一瞬息がとまるほどの強烈な痛みもありました。
今回2回続けてコースに参加した目的は冒頭でも書いたように、心身の浄化です。
だから、それがいくら強い痛みだとしても
サンカーラの感覚はどんどん出てきてもらいたいくらいだったので好都合でした。
ただ、聖なる沈黙が解かれた最終日、昼食後にゆっくりとシャワーを浴びたら、
全身からサンカーラの感覚にがんじがらめにされていた疲れがどっと出て、
一気に脱力状態になり、しばらく頭がぼーっとしてました。
サンカーラの感覚は、コース最後の瞑想でも消えることはありませんでした。
まだまだ根が深そうです。
感覚があろうとなかろうと、心地よかろうと不快だろうとそれは問題ではなく、
重要なのはその感覚をいかに平静な心で観察するか。
ゴエンカ氏がしつこくこの言葉を繰り返すのは、
それだけ人の心が感覚に振り回されやすいということだと思います。
「修行の連続性が成功の鍵」という言葉を食堂にある掲示板で目にしますが、
今回のコースに参加したことでその意味がわかったような気がしています。
晴れの日も雨の日も、暑い日でも寒い日でも、疲れていても元気でも、
ただ淡々と日々ヴィパッサナーを繰り返し、そのつど様々な感覚と対面する中で
真の平静さは培われていくのだと思います。
はじめてコースに参加した人の多くが、一度体験しただけで終わってしまうのではないでしょうか。
時間が許すなら、ぜひふたたび参加してみることをおすすめします。
私は、一回目では気が付かなかった、ヴィパッサナーの奥深さを知ることができました。
やっぱりヴィパッサナーはすごい。
本物です。
今回をきっかけに、少し本気で取り組んでみようと思っています。
ヴィパッサナー参考書
ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法