「タオ・コード」、「ガイアの法則」に衝撃を受け、
早速、著者の千賀一生さんが主宰する「わの舞」を体験してきました。
(「わの舞」についての説明は
ホームページを参照してください。)
千賀さんがいらっしゃる回にはタイミングが合わなかったので、
講師の方が指導する初心者講習会というものに参加してみました。
日曜日だったこともあってか、意外とたくさんの人(30人くらい?)が来ていました。
子どもの頃は学校行事などで踊りを踊る機会もありましたが、
大人になってからは私の場合もっぱらトランスパーティーなどで四つ打ちのリズムに
ハイテンションで思いのままに自己表現として踊るという経験しかないので、
みんなで同じ踊りを踊るということがそもそも新鮮でした。
「わの舞」には、御柱の舞、原始の舞、歩みの舞、そして一番新しい龍神の舞の
4種類の踊りがあり、それらをすべてひととおり(龍神の舞は前半部分)踊りました。
わの舞(御柱の舞)
ネットで体験談を読んでみると、「懐かしい感じがした」という感想を良く見かけますが、
私もなんとなくそれがわかる気がしました。
もちろんどの舞も音楽に合わせて踊るので、
太古の時代を想像させるその壮大な音楽の持つイメージに先導させられている部分も
少なからずあるとは思います。
また、自分で作り上げたイメージに入り込んでそれに酔ってしまっている可能性も
もしかしたらあるかもしれません。
しかし、それだけではない何かがあるような気がするのです。
「わの舞」という名前は文字通り、「輪」になって踊ることからきていると思いますが、
この輪になって踊る形式はキャンプファイヤーを囲んで、
マイムマイム、ジェンカ、オクラホマミキサーなどを踊ったり、
夏祭りのやぐらを囲んで盆踊りを踊ったりと日本でも馴染みがあります。
ただ、同じ「輪」になって踊るという形でも、
わの舞にはそれらと大きく異なる点があるのです。
それは、中心軸を意識するということです。
自分の中心軸、輪の中心軸を意識しながら踊ることが、
わの舞の最大の特徴だと今回参加してみて強く感じました。
私はわの舞を踊っているととても神聖な気持ちになるのですが、
それもこの輪の中心軸を意識することからくるのだと思います。
輪の中心に精霊を宿すという考え方がその背景にあり、
振り付けも輪の中心を意識したものになっています。
私は今回はじめての参加でしたが、いわゆるワンネス意識の入口を
針穴からのぞき見たような感覚を御柱の舞を踊っている時に体験しました。
御柱の舞の中にはみんなで手を取り合って、小走りをしてスピンする場面があります。
何回か踊って少し慣れてきたくらいのとき、
私は指示通り輪の中心軸を意識しながらその流れに自分を合わせるように走っていると、
自分が全体の中の一部という感覚が強くなり、それと同時に
個である自分という意識がどうでもよくなってしまうというか、
個である意識が薄くなっていく感覚をほんの一瞬ではあったけど、はっきり感じたのです。
輪の中心軸に個である自分の意識が吸い取られていくような、吸収されるような感じでした。
その輪に参加できていることに心の奥の方で静かで深い喜びを感じました。
今回は、まだ「次は何だっけ?」とか「どっちの足だっけ?」とか考えながら、
そちらに気を取られている部分がかなりありました。
これが回数を重ねて、考える間もなく体が勝手に動くくらいの状態になり、
輪の中心軸や自分の中心軸、振り付け一つ一つのエネルギーの動きなどを
しっかりと意識して踊れるようになり、さらにそんな人が輪の中にたくさんいる
という状況ができれば、その輪はすごい意識の状態になりそうだということが、
今回の経験からなんとなく想像できるようになりました。
何事も体験こそ真理です。
今後も機会があれば講習会や練習会に参加して行きたいと思っています。