ブログ「地球生活」は、「地球生活NEO」として生まれ変わりました。

地球生活NEO
http://neoearthlife.com


鎌倉一法庵での気づき−本当の瞑想とは

山下良道さんが主催する鎌倉一法庵の5日間の接心に
6月、7月、そしてつい先日の9月と3回参加させていただきました。

一法庵の接心で良道さんのお話や参加者との質疑応答などを聞き、瞑想をするなかで、
自分の瞑想が今どのような状態なのか、実際のところ瞑想とは何なのか、といったことが
自分なりにある程度つかめてきた感じがしています。

それについて書く前に、まず私が一法庵の接心に参加することになった経緯から。


私が瞑想をはじめたのは2年半ほど前、
ゴエンカさんのヴィパッサナー瞑想コースにはじめて参加したのがきっかけです。
(参照記事:ヴィパッサナー瞑想体験 10日間コース@京都

その後は期間が空きましたが、今年(2012年)の年越しのコースから5月までの間に
生徒で3回、サーブで3回と集中して10日間コースに参加してきました。
(参照記事:ヴィパッサナー瞑想 奉仕と生徒の1ヶ月@千葉
(参照記事:ヴィパッサナー奉仕(サーブ)の魅力

その甲斐あってそれなりに集中力もつき、
自分なりにそこそこ満足できる瞑想ができている時間も増えてきました。


ところが、5月に京都で参加した生徒として4回目のコースで私は、
ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想にちょっとした行き詰まりを感じてしまったのです。

そのコースでは個人的に、思考やイメージを徹底的に排除すること、微細な感覚の探求、
感覚を感じたらすぐに意識を動かすことに専念していました。

私の経験では体の感覚は、凝固感や圧迫感、痛み、かゆみなどの荒削りなわかりやすい感覚の場合、
思考やイメージが出てきていても気づいていることができますが、
微細な感覚になればなるほど本当に心が静かな状態で、より客観的に観察しないと
なかなか感じとることができません。

すでにそこにある微細な感覚を心を静めて感じとる様子は、
例えて言うなら、息を凝らして耳を澄ましてやっと聞きとることができる、
どこからか聞こえるとても小さな音を聞きとるような感じに似ています。

その時のコースで私は、思考にもイメージにも眠気にも邪魔されず、切り裂くような集中力で
1時間のほとんどの時間を静寂に包まれた完全に平静な状態でいることがしばしばありました。

しかしある時、しばらくの間微細な感覚の上をすべるように快適に意識を動かせていた場所が、
いつの間にか意識の移動がそれまでのようにスムーズにいかなくなっていて、
うまく行っていた時のことを思い出しながら
なんとか意識をスムーズに動かそうとしている自分に気がつきました。

そして同時に、雑念が現れることもなく完全に平静な状態だと思っていた心の中に
いつの間にか渇望と執着と嫌悪がすでに幅をきかせていることに気づいたのです。

意識をスムーズに動かせなくなっていたのは、
その場所に凝固した感覚が現れてきていたからだったのですが、
そのことにしばらく気が付かず、記憶に残るすべるような意識の移動に執着し、
それを渇望し、意識をスムーズに動かせないことを嫌悪し、ストレスを感じていました。

私はこのとき、あることを悟りました。

それは、常に完璧な平静さで感覚を繰り返し観察し続けるというのは
もしかしたら不可能に近いのではないか、ということです。

完全に平静であるためには、完全に感覚がアニッチャであることを理解し、
何度同じ場所を観察しても毎回その場所をはじめて観察するつもりで、
さらにその感覚に対して何の心の反応も起こさないことが必要です。

電子顕微鏡の最高倍率でのぞくくらい厳しく、そしてくまなく丁寧に心の状態を見るなら、
前回その場所を観察したときの記憶がある以上、同じ場所を再度観察したとき、
気づかないレベルでは渇望や執着や嫌悪のいずれか、
場合によってはすべての感情が生まれてしまっているような気がしたのです。

この“気づかないレベルで”というところが非常にやっかいです。

ゴエンカさんは、感覚を完璧な平静さで観察することで浄化が起こると言っている一方で、
渇望や執着や嫌悪の心で感覚を観察する場合、
浄化どころか逆にサンカーラを増やすとも言っています。

私の経験では、渇望や執着や嫌悪はかなり巧妙で、まるでパンに生えるカビのように
いつの間にか心の中に芽生えていることが多々あります。

それがどういうことかというと、つまり浄化していると思ってやっていた瞑想でも、
気がつかないうちにサンカーラを増やしている場合があるということになるのです。


さて、ちょっと長くなりましたが、聖なる沈黙が解けた10日目の夜に
上に書いたような話を瞑想ホールで席がとなりで、同室でもあったKくんと話していたとき、
山下良道さんと一法庵の接心を紹介してくれたのです。

ゴエンカ式では他の瞑想をすることを認められていないし、
私はゴエンカ式のヴィパッサナーにどっぷり漬かって慣れ親しんでいたので、
興味を持ちながらも違う瞑想法をすることに少なからず抵抗がありました。

しかし、ちょうど行き詰まりを感じたこのコースが終わる日に
隣席で同室だったKくんに紹介されるといういかにも仕組まれたようなお手配、
私が関東方面に戻ろうとぼんやりと思っていた時期と6月の一法庵の接心が
ちょうど同じくらいのタイミングだったこと。

他にも私の足を一法庵に向けさせるサインがいくつかあり、
結果的にごく自然な流れで鎌倉一法庵の6月の接心に導かれたというわけです。


良道さんが言葉を変えながらも一貫して言っているのが、thinking mind からの解放、
そして青空を体験すること。

青空は、慈悲の部屋、空なる部屋、第3の部屋などいろいろ別の言い方がありますが、
すべて同じ場所(同じ意識状態)のことを指しています。

thinking mind からの解放は、要するに過去や未来に意識が飛ばされることがなく、
「今」に気づいていて、思考やイメージと同一化していない、曇りなき心の状態のことです。


接心最初の2日くらいはゴエンカ式のヴィパッサナーが頭から離れず、
良道さんの話や瞑想法とどうしても比較してしまい、葛藤や混乱で心がスッキリしませんでしたが、
ゴエンカ式をひとまず忘れ、まったく別の瞑想法をやっていると考えることにしました。

気持ちを切り替えて瞑想に集中できるようになると間もなく、
私は、自分の心が thinking mind から解放されていることを自覚したのですが、
実はゴエンカさんのところですでにその状態は経験していたことを思い出しました。

ゴエンカさんの10日間コースの最初の3日間のアーナパーナのとき、
思考やイメージ、眠気を排除するという作業を意を決して徹底的にストイックにやったときに、
とてもクリアな、完全に静寂に包まれた、安らぎに満ちた心の状態を
短時間ではあったけど経験し、自覚したことがありました。

ただ、ヴィパッサナーでは、とても集中して体の感覚を観察しているとき、
特に微細な感覚を観察している時などは先にも書いたように長時間にわたって、
思考もイメージもわき上がってこない静がな心の状態でいることが出来てはいたのですが、
そこでやることは、心が平静かどうかのチェックと
体の感覚を頭からつま先まで順番にひたすら観察し続けるという2点に尽きるので、
thinking mind から解放された状態の心をあえて意識したことがありませんでした。

なので一法庵の接心ではじめてまじまじとそこにフォーカスした時、
最初は thinking mind が落ちた世界をはじめて体験したように錯覚しましたが、
思い返せばただそこにフォーカスしたことがなかっただけで
実は私にとっては以前から経験し、知っていた世界だったのです。

ゴエンカ式ヴィパッサナーをやっている人の中には
すでに thinking mind から解放された状態で体の感覚を観察している人はたくさんいると思います。

しかし、ただそれを「平静さ」としてしか認識せず、
その状態にありながらも、ただひたすらに体の感覚の観察のみに徹するというのは、
非常にもったいないような気がしてしまいます。

平静な状態、つまり thinking mind から解放された心の状態、あるいは近い状態にあるとき、
これは私の個人的な好みの問題かもしれませんが、耳から聞こえてくる音、
とくに虫の鳴き声や鳥の声、風や雨の音など自然界の音に意識をフォーカスすると
集中した状態を維持しやすくなり、「今」にあり続けることが比較的容易になるように感じます。

また、thinking mind から解放された心の状態が
仏教で言うところの「空」だと良道さんは仰っていますが、
私の場合、特に意識を可能なかぎり五感すべてにフォーカスして「今」にあり続ける瞑想をしていると
たしかに「空」という言葉がぴったりくることが実感できます。

思考やイメージが止まっている意識は、何もなく空っぽです。

その何もなくどこまでも広がるとても静かな空っぽの意識の中に、
ただ五感によって立ち現われてくる感受のみがあるのです。

ただ虫の鳴き声があり、ただ鳥のさえずりがあり、ただ呼吸があり、ただ体の感覚がある。

目を開ければただ目の前に色と形、光と影がある。それらはただ起こっているのです。

自分だと思っていたものは幻想で実は何もなく、
自分とは感受そのものなんだということが実感できた瞬間がありました。

これらのことは、ゴエンカ式ヴィパッサナーに忠実に、
ただひたすらに体の感覚のみに意識をフォーカスしていたときは気がつかなかったことです。

こう書くと、人によってはゴエンカ式を批判しているように感じる人もいるかもしれませんが、
もちろん私はそんなつもりはなく、あくまでも中立的な立場で、
自分が経験し感じたことを忠実に書いているだけです。


さて、私の経験では、thinking mind から解放された世界にも
微妙に心の状態に差があるような気がしているのですが、それを書き出してみます。

1.思考やイメージは現れていないけど監視が必要で、思考したがっている意識を強引に押さえつけているようなどこか不安定な状態。(厳密にはこれは thinking mind から解放されているとは言えないと思う)

2.意識がとてもクリアで明晰。思考やイメージが現れてくる気配がなく監視する必要がないとても安定した状態。

3.意識がとてもクリアで明晰。思考やイメージが現れてくる気配がなく監視する必要がないとても安定した状態で、さらに喜びと安らぎと充実感に満たされている。


はじめての一法庵の接心で、thinking mind から解放された状態であることを自覚したとき、
私は2や3の状態だったのですが、ここで一つ問題だったのは、
良道さんが「慈悲の部屋」と表現をされる場所にいるはずなのに
その肝心の慈悲を感じることができないでいたのです。

その時の良道さんの説明では、thinking mind が落ちた世界=慈悲の部屋、
つまり、thinking mind が落ちれば慈悲は自然と出てくるということでした。

しかし私の場合、thinking mind が落ちていることは完全に自覚しているのに、
ただ慈悲だけがないという状態だったので、自分のいる場所がどこなのか混乱しました。

なぜ慈悲を感じられないのか、thinking mind から解放されたクリアな意識の状態で
心の中を丁寧に観察してみたところ、正体不明のどこかスッキリとしない
ネガティブな感情が残っていることに気づきました。

そのネガティブな感情が本来出てくるはずの慈悲にふたをしてしまっているような気がして、
その感情が何によって引き起こされているのか丁寧に探索してみたところ、
いわゆるペインボディ、自分で自分を攻撃している部分、自分の受け入れられない部分、
自分を愛せていない部分だったことがわかりました。

私はその意識できたペインボディを認めて、無条件で受け入れ、
その部分を慰めるというか、そこに愛を、慈悲を与えてみようと試みると、
まるで油田を掘り当てたかのように、胸の奥のどこかから愛が、慈悲がとめどなく湧き出てきたのです。

そして、自分がその慈悲によって癒され、ネガティブな感情がなくなると、
他人への慈悲もごく自然とあふれ出てきました。

この経験からわかったことは、慈悲とネガティブな感情は共存できないということです。

心にネガティブな感情が少しでもあるときは慈悲は出てこないし、
逆に、心が慈悲で満たされているときはたとえネガティブな感情を故意に起こそうとしてもできません。

思考やイメージから解放されて「今」に気づいているのに、慈悲がピンとこないときは、
心にネガティブな感情がないか丁寧に観察してみることも一つの解決策のようです。


いろいろと書きましたが、最後にもう一つ。

thinking mind から解放されたクリアな意識の状態、
いわゆる「空」や「慈悲の部屋」に入ってからが本当の瞑想だと良道さんはおっしゃっていますが、
私もこれまで書いたような経験を通してそれを実感しています。

逆を言うと、目を閉じて黙って静かに座っていても、
思考やイメージ、眠気に支配されているならばそれは瞑想とは言えないのだと思います。


瞑想中は今にあるので、本当の意味で瞑想ができている時間が増えれば、今にある時間が増えます。

今にあるときはエゴの影響の外にいるので、エゴにエサを与えることはなく、
瞑想をして今にある時間が増えることで、自然とエゴの力が弱くなっていくのです。

これが瞑想の一つの効果だと私は思っています。



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吐竜の滝@山梨(清里)のパワースポット

キープ自然学校の仕事が休みの日に、近くにある吐竜の滝に何度か足を運びました。

吐龍の滝
吐竜の滝

自然学校から森を抜けて歩いて行けることを知る前は車で行っていたのですが、
吐竜の滝周辺がパワースポットだということは車で行かないと気が付かなかったと思います。

というのも、私がエネルギーを感じたのは滝そのものではなく、
意外にも駐車場から滝へ続く道なのです。

はじめて吐竜の滝を訪れたとき、駐車場に車を止めて案内にしたがって
滝へ続く道がある森に入って行きました。

森に足を踏み入れてすぐに、パワースポット特有のエネルギーの感覚を感じました。

道を行ったり来たりしてエネルギーの発信源を探ってみましたが
いまいちはっきりしたことはわかりませんでした。

ただ、なぜかこの森の道の途中には大きな岩が点在していて、
もしかするとそのいくつかの岩が発するエネルギーのような気がしないでもありません。


大きな岩

この森の道を抜けて川沿いに出ると不思議とエネルギーの感覚がなくなるのです。

また別の日に来た時も同じように感じたので、気のせいではないと思います。

滝の前やその先に続く渓谷を歩いていても同じような感覚になる場所はなく、
特別見どころがあるわけでもないこの森の道だけが何か特殊なエネルギーに満ちているようです。


もちろん、吐竜の滝や自然学校から滝に抜ける森の中の道や川俣渓谷はとても気持ちよく、
清々しい気持ちにさせてくれて、ハイキングコースとしても、
どこか川沿いに腰をおろして読書したりのんびりするのもおすすめです。




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キープ自然学校の夏バイト@清里(山梨)

今年の夏は、山梨県は清里にあるキープ自然学校というところで働いています。

キープ自然学校

キープ自然学校は主に小中学校・高校の林間学校や、
大学のゼミやクラブ等の合宿などで利用される宿泊施設で、
名前のとおりいろいろな体験プログラムも開催されています。

キープ自然学校
http://www.keep.or.jp/ja/shizen_school/


ここでの私の仕事は、自然学校という名前とはあまり関係のない、
布団の整頓やベッドメイキング、風呂・トイレ掃除などの館内清掃、厨房の洗い場などが主ですが、
キャンプファイヤーのセッティングやそれに使う薪割りなどもときどきあり、
それは自然学校らしい作業かもしれません。

薪割り
薪割り

キャンプファイヤー
キャンプファイヤー

私は掃除は嫌いじゃないし、ありがたいことに作業もせかせか忙しくやる必要もなく、
おまけに仕事仲間にも恵まれているので、本当に毎日気持ちよく楽しみながら働いています。

自然学校から見る八ヶ岳
自然学校から見る八ヶ岳

キープ自然学校の周辺には、清泉寮、パン工房、農場、ショップ、レストラン、教会など、
清里開拓の父といわれるポール・ラッシュさんが創設した
財団法人キープ協会が運営する様々な施設が広大な敷地に点在しています。

また、キープ協会の広大な敷地には森の中の自然歩道が充実していて、渓谷や滝などもあるので、
仕事が休みの日は周辺を自然散策するだけでも充分に楽しめてしまいます。

川俣渓谷
川俣渓谷

吐龍の滝
吐龍の滝

さらに、私が今寝泊まりしている寮は森の中にあり、鳥のさえずり、虫の鳴き声が聞こえてきて
部屋の中にいても自然を感じることができます。

ときには、部屋の窓の外を鹿が往来する姿を見ることもあります。

寮の部屋からの風景
寮の部屋の窓から


まあ、いろいろ書きましたが、自然学校で働き、休日は自然散策。そして寮が森の中。

木や森など自然が好きな私には好条件の環境です。


2年前から夏は北海道の利尻昆布のバイトに行ってましたが、
なんとなく今年は違うような気がして夏は何も予定を組んでいませんでした。

6月下旬に西日本の旅から帰ってくる数日前に、
旅も終わるし、さて今年の夏はどうしようと考えていたところ、絶好のタイミングで
千葉のヴィパッサナセンターで知り合ったJくんからメールをもらい、
キープ自然学校の夏バイトを紹介してもらいました。

突然来た波にただ乗ってみた感じでしたが、その波は思いのほか良い波だったようで
お陰さまでまた今年も思い出深い、素敵な夏を過ごすことができました。

Jくん、ありがとう!

そして、まだ終わっていないけど、この夏のバイトで出会ったすべてのみなさん。

私が毎日楽しく過ごせたのはみんさんのおかげです。本当にありがとう!

残りの日々もよろしくね。


7月からはじまったこのバイト。時間がたつのは早く残すところあと半月。

一日一日を大切に、残りのキープライフをエンジョイしたいと思います。






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東経135度線のパワースポット・神社巡り

>>厳選パワースポット・神社巡り

東経135度線のパワースポット・神社巡りをしてきました。

今回の西日本の旅を計画中に「ガイアの法則」のことを知り、
東経135度線の魅力に取りつかれてしまったのがそもそものきっかけです。

(参照記事:軽バンの旅 2012 春
(参照記事:「ガイアの法則」「タオ・コード」 千賀一生 著


場所の選定は、「日月神示」の中矢伸一さんと「ガイアの法則」の千賀一生さんのコラボDVD、
東経135度線の聖地・神社を巡る旅」の収録地を参考にしました。

=DVD収録地=
 大本天恩郷
★出雲大神宮
★天橋立
★元伊勢内宮皇大神社
★日室ヶ嶽
★元伊勢籠神社
★真奈井神社
 沓島/冠島
★比沼麻奈為神社
★伊弉諾神宮

★を付けたところが今回私が訪れた場所で、さらに近くだったので以下の2社も参拝しました。

★元伊勢外宮豊受大神社
★天岩戸神社

大本天恩郷と沓島/冠島はパスしました。

大本天恩郷は、2年ほど前に縁あって大本教の大道場修行に参加したときに
一度訪れたことがありますが、その時一緒にいた友人は
禁足地の前で強いエネルギーを感じたと話していました。



★出雲大神宮

まずはじめは亀岡にある丹波国一宮、出雲大神宮です。

出雲大神宮参道入口
参道

出雲大神宮拝殿
拝殿

出雲大神宮はパワースポットとしてよく評判を耳にしていました。

私はこの旅で早朝と夕方の2回訪れる機会がありましたが、
実際に行ってみた感じとしては、本殿裏の磐座周辺でなんとなく感じるような気がした程度で、
特に目立ってエネルギーを感じることはありませんでした。

前評判に期待して行ったものの、結局何も感じなかったというパターンは珍しくなく、
あくまで個人的な感覚として捉えていただければと思います。

相性やタイミングなども関係するような気がしています。

御神水の真奈井の水はおいしくいただきました!

出雲大神宮磐座
本殿裏の磐座

出雲大神宮みかげの滝
御蔭の滝

出雲大神宮神体山磐座
国常立尊の磐座(御神体山)



★元伊勢外宮豊受大神社

参照したDVDの収録地にはこの神社が入ってないので存在すら知りませんでしたが、
皇大神社に向かう途中の道に看板を見つけ、迷わず立ち寄ってみました。

ゆっくりと拝殿に近づいていくとなんとなくエネルギーを感じはじめ、
拝殿前で立ち止まった時、それがよりはっきりとした感覚になりました。

拝殿の前でエネルギーを感じるのは、私の場合珍しいことです。

元伊勢外宮拝殿
拝殿

参拝後は、境内の中をふらふらと歩いたり、木の根元に寄り掛かってボケッとしてみたり。

一緒にいた友人2人も、自然と言葉少なになり
思い思いの場所でそれぞれの時間を過ごしていました。

境内には私たち3人だけで、とても平和でのんびりとした時間が流れ、
まるで眠気を誘うような、落ちついた空気に包まれている感じでした。

この神社の印象をあとで話してみると、眠くなるような感じで、脱力系の場所だったと
不思議と3人の感想が一致していました。

元伊勢外宮本殿
本殿



★元伊勢内宮皇大神社

皇大神社に到着したのはすでに西日の射し込む時間帯でした。

元伊勢内宮拝殿
拝殿

元伊勢内宮本殿
本殿

皇大神社の境内は清々しく、先ほどまであった眠気がなくなり
いつの間にか意識がしゃきっと明晰になっていることに気がつきました。

ここに来る前に立ち寄った豊受大神社で感じていた印象とはまるで違うにもかかわらず、
やはり3人とも同じように感じていたみたいでした。

皇大神社に来たことで、先ほどの豊受大神社で感じた印象が
気のせいや思い込みといったあやふやなものではなかったことが確認できたと思います。

また、それとは別に、皇大神社も場所によって
しっかりとエネルギーの感覚を感じるところもありました。

元伊勢内宮境内
境内



★天岩戸神社

皇大神社から歩いて15分ほどのところにある渓谷に、天岩戸神社はありました。

写真でもわかると思いますが、崖の上に社殿があり、この大自然が境内というすごい神社です。

とても清々しく、爽快で、いつまででもいられる場所でした。

天岩戸神社
社殿

社殿の後ろには、いかにも天岩戸というに相応しい大きな岩が、
ぴったりと川をふさいでいました。

友人2人はこのあたりでしばらくの間、瞑想。

天岩戸神社岩戸
天岩戸

ちなみに、この天岩戸神社と皇大神社、そして豊受大神社を合わせて、
「元伊勢三社」というそうです。



★日室ヶ嶽

日室ヶ嶽は、元伊勢皇大神社と天岩戸神社のご神体山。

その形からピラミッドとも呼ばれています。

遥拝所から見ると、夏至の日には日室ヶ嶽の山頂に日が沈むそうで、
私たちが行ったのが6月初めだったので、おしいな〜と話していたところ、
皇大神社の宮司さんが、この時期ならほぼ頂上に来てると教えてくれました。

ちょうど夕方で、天岩戸神社に行ったりしている間に時間になりなりそうだったので、
日が沈むのを待ってみることにしました。

日室ヶ嶽ダイヤモンド
山頂付近に沈む夕日

実際には山頂より少し右に沈みましたが、日没の少し前、
ちょうど山頂付近に太陽があるときにそれらしい写真を撮ることができました(笑)



★天橋立

元伊勢三社を巡ったあとそのまま北上し、夕方のまだ明るいうちに天橋立に到着。

その日は天橋立北側の付け根付近で車中泊。絶好のロケーションでした。

翌朝、天橋立をみんなでのんびり散歩。

とても贅沢な時間をすごせました。

天橋立
天橋立

天橋立神社
天橋立神社



★元伊勢籠神社

天橋立から目と鼻の先にある元伊勢籠神社は、丹後国一宮。

内宮と外宮、両宮の元宮とされていて、ここの宮司家は神代の昔、
神社の始まりから2500年以上にわたって世襲で代々お仕えしているという
他に類を見ない神社です。

気持ちよく、居心地の良いところでしたが、
特に目立って何かエネルギーを感じるところはありませんでした。

元伊勢籠神社拝殿
拝殿

元伊勢籠神社本殿
本殿



★真奈井神社

籠神社参拝後、歩いて数分のところにある真奈井神社に行きました。

真奈井神社は籠神社の奥宮です。

真奈井神社
拝殿

はっきり言って、ここはすごかったです。かなり強烈なエネルギーに包まれていました。

心の雑音がなくなり、頭の中はボーっとしてほとんど思考停止状態。

いつの間にか時間感覚もおかしくなっていて、
今が何時くらいなのか、午前なのか午後なのか、そもそも時間て何?と思ってしまうくらい
この境内だけ時間という概念から独立した空間のような印象を受けました。

エネルギーの感覚的には、拝殿の裏にある磐座が特に強烈でした。

エネルギーが強すぎると身体がちょっとしんどくなってくることがありますが、
この磐座の強烈なエネルギーには少しもしんどさを感じることはなく、
むしろそのエネルギーに身を浸したい、なされるがままに身をゆだねたいという気持ちがあり、
できることなら岩にべったり張り付いてみたいくらいでした。

逆に、一緒にいた友人のCちゃんは、強すぎてしんどいと話していたので、
相性があるのかもしれません。


持ってきたペットボトルに真奈井の御神水をいただき、神社の境内を出ると
急に現実に引き戻された感じがして、あらためて不思議な空間にいたことに気がつきました。

真奈井神社は、まるで異次元です。



★比沼麻奈為神社

比沼麻奈為神社も元伊勢外宮とされている神社。

元伊勢籠神社から車で1時間くらいのところにあります。

駐車場に到着すると、宮司さんがなにやらバタバタ忙しい様子で、
ちょうどこれからどこかにお出かけになるところだったようです。

いろいろと案内したいけど今日は出かけてしまうので、
機会があったらまた来てください、と神社のしおりをいただきました。

とても気の良さそうな、やさしい雰囲気の方でした。

比沼麻奈為神社社殿
社殿

神社境内は、きれいに人の手が行き届いているという印象で、
ゆっくりとした時間が流れ、落ち着いた雰囲気で、ボーっとしてしまうようなところでした。

エネルギー的な感覚も場所によっては感じるような気もしました。



★伊弉諾神宮

伊弉諾神宮は淡路国一宮。国生み神話で知られている伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る神社です。

当初の予定では、わざわざ淡路島まで行く気になれず
伊弉諾神宮はパスするつもりでいたのですが、
ちょうど6月6日の金星の太陽面通過の日にあわせて
淡路島の伊勢久留麻神社でわの舞があることを耳にし、急遽淡路行きを決意。

その流れで伊弉諾神宮にも参拝することができたというわけです。

伊弉諾神宮社殿
拝殿

特別な場所という空気はあまり感じられず、
なんというか、良い意味で、ごく日常の中にある神社という印象でした。

エネルギー的には、社殿の右の方にどっしりと根を張る御神木、
「夫婦大楠」の周辺で感じました。

伊弉諾神宮太陽石碑
石碑「伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行図」

淡路島は日本神話の国生み、神生みの中心というだけあってたくさんのパワースポットがあり、
伊弉諾神宮の他にもいくつかの場所を訪れましたが、それはまた別の機会にご紹介します。



135度線のパワースポット・神社巡りは、とてもエキサイティングな旅でした。

誰か一緒に行く人がいたら楽しいな〜、となんとなく思っていたら、
とても自然な流れで3人で行くことになり、行く予定のなかった伊弉諾神宮も
思わぬ展開で急遽行くことになり、さらに淡路島のパワースポット巡りまでしてしまい、
まるで何かに導かれるように、次から次へとすべてがタイミング良く展開して行った感じがします。

「ガイアの法則」によれば、東経135度線を訪れるベストなタイミングというのが
人それぞれにあって、そのタイミングで135度線圏内に入ると
そこを中心に働き始めているエネルギーの恩恵を最大限に受けることができるそうです。

私は旅の計画中に「ガイアの法則」に出会い、135度線のことを知ったので、
今回の旅が私にとってのベストなタイミングに違いないと勝手に思い込んでいたのですが、
結果的に、その思い込みが間違いではなかったということを実感しています。

これからも、東経135度線にアンテナを張っていようと思います。



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